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令和のトラッド

総じて令和のいま、男性には着るものやファッションにこだわる人は少ない。
かくいう自分も同様である。
身近な男性がファッションについて関心をもっていれば世の中は相当景気がよい状況だと言っておそらく過言ではない。
自分の場合、この10年くらいのあいだにユニクロのものの割合も相当高くなった。
当初のような廉価ものの印象でユニクロを来ていて他の人から見下される感はもうないし、ヒートテックやらエアリズムやら機能性の面からみんながこぞって季節には着用するものすらある。

特段ファッションに関心がなくてもユニクロで買ってれば、身なりもそれなりにちゃんとする。
そういえばユニクロの当初は無地無柄の一色のトレーナーやら、とくに冬の衣類の定番ジャンルにしてしまったフリースを同じ色を棚一列に並べて、店の中を虹のような印象にしていたのがとても斬新で特徴的だったが、いつしかそれもやめていまは機能性をメインにするせいか商品の顔は”トラッド”が基本である。

トラッド。

50代以上の中高年にはバブルとともに若い頃の記憶にあるファッションスタイル。
バブルの街を歩く男性は、イカリ型のDCブランドのジャケットを来ているか、ブレザーにボタンダウンシャツにタータンチェックのパンツのトラッドスタイルで溢れていた。
男性はファッションに関心をもっているのが常識だったので、感性みたいなものがなくてもPOPEYEやホットドッグプレスという雑誌をマニュアルにして服を買い揃え来てるという感じだった。
恋愛もそういう雑誌の情報をマニュアルにしている有様だった。

かくいう自分も同様であった。
だから、いまのユニクロでの服選びは中高年男性には格別の安心をもってできるのかも知れない。
現在のファッション雑誌にはユニクロをおしゃれに着こなすためのラインナップがあるようで、多くの中高年世代が安心で買い求めてるものとは全然目線が違うのも確かなのだが。

本当に良いものには高価でも妥当な金額として買い求める。
奇をてらわず、シンプルで一流の素材と一流の仕事に価値を感じる。
本来のトラッドとはそういうもので、またそういう景気のよい世の中と、自分にまたなってほしい、なりたいものである。

ジョゼと虎と魚たち、2021年

今朝見たアニメ映画に触発されて、家に返って上映当時気になりながらも見逃した2003年の実写映画も見て、寝る前に原作も読み切ってしまった。

2003年の映画は人の持っている偽善や背徳感を生々しく晒す話でその後に明るい希望を思い描かせることなく終わる。撮影当時では池脇千鶴さんもジョゼに適役だったと思う。

登場人物たちはみんな大阪弁を話すし大阪を舞台想定しているのだろうが、そのスレた世界観を現すには2003年の大阪は洗練し過ぎていて多くの他の場所でロケされていてそのあたりには、大阪人の目線では凄く違和感がある。

原作はじつはごく短い短編で映画の下地になった生々しさはあるが、ジョゼは乳母車ではなく車椅子に座っているし話の滑り出しはアニメのほうに近い。
生々しいというか、問題に向き合うのってそういうもんとちゃうの、人って、というあっさりした読後感がある。
とくにこの先に希望を見出さないまま終わること自体は実写映画と同じだ。
映画みたいに恒夫が泣き崩れることはないが。

作者の田辺聖子さんは戦前戦後を生きた、ちょうど”おちょやん”の浪花千栄子さんとは別に、作品もご本人も大阪を代表する女性で、作品が人気された時期はインターネットも無いし、先生の作品が大阪以外のところで大阪の人となりを描いて伝えていた媒体でもあったと思う。
ただ女性に人気のあった田辺作品の本当の魅力は僕は女性ではないので、じつはわかってないかもしれない。
原作が描く時期はジョゼが阪神で村山がマウンドに上がっているのを幼少に見た体験を語っているので逆算して昭和50年代頃か。

実写映画も原作も即日手を出してしまったくらい今回のアニメ作品は正直良かった。
ジョゼにも恒夫にも未来の希望をもたせて清涼感で終わるというかなりの改変があり、いかにも今風なアニメになっていて、田辺先生が見られたらどうお思いになるか…ではあるが、現在の大阪の風景で登場人物といまの世代に同じ轍を踏ませるならこうなるかな、という感じ。

ロケ地の情景を忠実に描いて見せるのは「けいおん」より後のアニメのお約束になったが、個人的には8割9割、立ち寄ったことのある場所の光景だが、それを気にしてジョゼの家はどのあたりか考えるとわけがわからなくなるのでやめたほうがいい。
家の前が玉串川で愛染坂が近くにあって最寄駅が天下茶屋駅で車椅子で箕面市図書館に行けるとか、そんなとこあれへんから。

それでも、大阪と周辺の現在の光景に落とし込んで描いた”無理のなさ”がしっくりくるし、純粋に大阪を描くアニメとして、ちょっと流行ればいいなと思う。

WordCamp OSAKA 2018に行ってきた。

WordCamp OSAKA 2018に行ってきた。

実行委員の人たちを含めて世代交代感はあるかな。

いつもみる顔や懐かしい顔がある。

6年前、はじめてWordPressに向き合うことになったOSAKAで同じ状況でたまたま隣の席に居合わせたのが縁で仲良くなった人とまたここで会えて、うれしいやら、もうそんなに経ったのかと、そんな話をした。

でも懇親会になるとわかりやすいのだが、みんな垣根なくわいわいとやるのではなく、常連や古参のシマや他のコミュニティのつながりのシマになるし、時間の制約があるにせよ正直挨拶するか、挨拶すらしないままで終わるひとも少なくない。

初めて来られた新しい出会いもあるが、ほとんどその後につながらない。

なんか大きな”祭り”みたいになった気がする。岸和田のだんじり祭りみたいな、都会や地方に散り散りに生活していても祭りの日には地元に帰ってくるような。

でも人も多いし近しい者もあれば挨拶や、顔見知り程度もあれば。

まあ残念なのはここに”奈良”のシマすらもつくれなかったということだ。

WordPressそのものについては前日に別地で行われたいわゆるWordPressのコミュニティの縛りがない催しで「とってかわる対抗馬もない、従うしかない、まるでロシアのプーチン首相だ」というたとえがあったが、正直当を得てる感じで、バージョンアップでわくわくするべきが、最近はその度に何か運用しているサイトに問題が起こらないか、育ててきた子どもが大きくなって気難しい子に育ってしまって扱いにあぐねてるようなイメージはある。

すべての人がそうだとまでは言わないが、シェアが大きい、トレンドだから乗り遅れてはならんと関わるようになるが、この気難しいヤツに向き合い、その苦労を分かち合う、そういう”祭り”になってるようにも見えて、新しい人は祭りはたかり、露店で”難儀回避”の情報を得るが、神輿を担いだりやだんじりを引く面倒にはかかわる気はない、という感じがする。

事実Gutenbergが開発者の思考によくある合理性を優先して強行導入され、結果、自社の客に迷惑を及ぼすような自体にならないことを切に望む、それを監視や確認をしにきたというような、リアルなそういう声も聞かされた。

昨年京都サイドから今年のWordCampを奈良でどうかと申し出があったが、二つ返事で無理と返してしまう。

逃げるつもりではないが僕は大阪の人であり、奈良でCampをするなら、ホストは奈良の人たちが自ら中心になって行えるものであるべきと思っているし、事実これまで公私大小さまざまイベントが行われてきたが、そのほとんどが他府県から持ち込まれたもので、
他府県の人たちが来て盛り上がるが、地元の奈良の人は足を運ばず、受容はしても関与しない態度を貫く、結果何も残っていない、そういう県民性のようなものがあり、だからCampをやった結果、奈良に何も残らないのでは何の意味もないからだ。

京都サイドには申し訳なかったがこれは奈良にいて関わっていないとなかなかわかっていただけないかもしれない。

ホストが奈良県人であろうが無かろうが、この祭りを催して、”貢献者”の人たちを一同に会する機会を用意しないといけない側面があるのもよくわかるのだが。

さて、奈良でWordBenchをしなくなって花街にうつつぬかしてると僕に落胆してSNSでブロックすらされてる人もいたりするが、僕が関わってきた奈良に関してはいつまでたっても神輿の担ぎ手が現れなかった。みんな祭りを観に来る人で神輿を担ぐほうもさすがに神輿を下ろしたくなったのだ。

私利私欲や所属会社の客に引っ張ろうとしてるんじゃないかと関わりの薄い人ほど適当な揶揄もうけたが、そもそも僕は奈良の同業や近い志をもつひとたちとつながる場所を、将来の奈良を思えばこそ、作りたかっただけだったし、いまもそう思っている。

次の奈良のWordBenchはいつですか?と
この日もひとづてに見ず知らずの方の声も聞こえてくるから、催さないといけない道義的責任は感じているが、できることなら神輿の担ぎ手にもなれる人を待望している。

(一部内容について修正、撤回をしました。2018.6.3 17時)

追記。
WordCampを奈良で開催することを僕個人の見解だけで阻んだことになっていなかったかは気になってはいる。そうならばお詫びしたい。
これについて誰か、個人的には願わくば奈良のひとが手を挙げてやりたいというのであれば、もちろんこれを応援するつもりでいる。

さようなら昔のブログ

ポータルサービスが閉鎖して自分のはじめてのブログが喪失していることにいまさらに気がついて、少々落胆した。

この仕事をはじめた最初の職場で、ブログだかウェブログだかいうものがこれから来るぞという話題にのっかって書き始めたもので、いま自分が使うハンドルネームやドメインにしているワードを決めたのもそれがキッカケだった。

過去にも途中でポータルサービス自体の引っ越しがあった、「関西どっとコム」だったが、
引っ越し以前のものは、いまの言葉で言うと、ユーザビリティが秀逸で書き手が操作にほんとに迷うことがない、誰でもトリセツ無くいきなりスタートできるような管理画面で、正直現行のCMSであの完成度には未だ出会わない。
つまりはバックヤードの負担がものすごくあったということの裏返しだと思うけれど。

顔を見て話してる相手なら、冗談と笑って聞き流せる話も、文字にして仲間を傷つけて「失う」というリアルでは考えられない感覚や怖さもそこではじめて体験した。
途中から虎ブロガーになって、2005年のタイガース全試合の感想を書いてしまったりして、
泣き笑いを共有するも顔をみたことのない人たちと繋がり、実際に会ってみたり、現在も繋がりのある方はいらっしゃる。

いまではなんでもないことだけれど、仲間の印のバナーをそれぞれのブログに貼ってもらったり、
口座に資金を集めて、グッズを作ったり、甲子園球場外周通路のレンガを共同購入したり、いまでは当たり前過ぎてなんでもないことだが、「ネットの可能性」を勉強できた。
不勉強で無許可の画像を使ってしまって、権利者からクレームをつけられ、謝ってせっせと削除する経験もした。

書いてよいものか今では疑問だが、親父がもう退院のない病床についてから葬式までの一部始終も書いた。

この性格なので誰が読むんだろうという、ウンチクも書きたくった。
タイガースのユニフォームのくだりでは、いま書店で並んでいるユニフォームなんとかの記述のほうが間違ってると自負できるものもあった。

これまでも、いまのブログにエクスポート&インポートして保管することも思わないでもなかったけれど、
ブログの性格上とか、いまの自分の考え方にそぐわないところがあって、とはいえ自分の過去は過去と認めて取り込まずにいたのだが。

まあ、よい思い出だが形として残すべきではないものだったかもしれぬ、とそう思うことにして、
ここに墓標として記しておく。

LINEスタンプ「まいこらいふ」販売開始。

このたび、拙作LINEスタンプ「まいこらいふ」の販売を開始させていただきました。
https://store.line.me/stickershop/product/1216403/ja

なんと、申請から5日「審査待ち」状態で、いきなり「承認」のメールが届きました。
その道のお友達のスタンプには比べますと、なんとも愚作でお恥ずかしい限りです。

今夏の#sticky50を渡りに船にしてアイデアを蓄え、これをもとにしましたが、
半分ほど描き上げたところで描き慣れて画風が変わって、バランスが悪くなった前半を描き直し、
スタンプを送ったときの見映えから、キャラクターの顔・身体の向きを見直してほぼ一から描き直し、そんなこんなで2ヶ月半。
#sticky50では芸妓さんの絵もありましたが、新たに追加して今回はすべて舞妓さんの絵にいたしました。

そんな感じで下絵は#sticky50を含めて100枚になりました。

キャラクターの顔・身体の向きの見直しは、舞妓さんは頭の左側に華やかな大簪(かんざし)を差すのですが、そちらが陰になり、参考にする写真も大簪のほうから撮られた写真が多く、大いに困り、苦戦しました。

しかしながら、InstagramやTwitterにアップした#sticky50には圧倒的に海外の方から”いいね”をいただいていて、僭越ながら日本人として、その観点からも、日本の花街文化を正しく発信する責任みたいなものも意識して、とくに簪についてはなるべく忠実に描くように努めました。

でも、LINEは欧米ではあまり使っているひとがいないんですよね。ちょっと残念です。

・・・え?誰かに似ていますかね?(笑)

WordCamp Kansai 2015、shinchaya的ふりかえり。

WordCamp Kansai2015が終わって、1日たって、それぞれにSNS上で達成感や満足に酔いしれ、感謝や労いのエールの交換もされたことだろうから、ちょっと苦味のあるほうの話も、忘れないうちに書いておく。
半年準備に勤しんでこられた、僕にとってみんな大切なお友達でもある実行委員のみなさんに、たかだか当日のお手伝いの分際で、気を悪くされることを述べてしまうかもしれませんが、もちろん本当の事情を知らないこともあるでしょうから、そのへんはどうか斟酌してながめて下さい。
(どうか、お友達やフォローはずしたりしないでくださいねー!!)

昨年より人数の少ない実行委員の方々が昨年と同等かそれ以上のタスクをこなされたことには本当に頭がさがる思いである。
私用があって実行委員としてお手伝いできるタイミングがとれなかったことを申し訳なかったと思う。
(・・・そうは言うものの、最近色々加齢による衰えを感じ、間に合っていたかも疑問。)

でも、やっぱりみんな無理をされたのではないだろうか。
熱い思いで、こなせるタスク以上のことに挑まれた印象がある。
WordCampは昨年から2日開催になっているが、べつに義務ではなかったと思うし、動ける人数が見えた時点で欲ばらずに1日に全勢力を注いでいただく選択もあったのではないかと思う。
少ない人数で、土日のお休みを使いきって、月曜からそれぞれにお仕事に向かわれるのは、個人が経営主体な方は調整のきくかたもおられるやも知れないが、総じてみんなキツいはず。
ぶっちゃけ、明日は休みだと思うと、終わってからみんな飲んで、気兼ねなく夜遅くまで語らい、親交をあたためられたように思う。
じつはこの時間こそが何より重要だったりするから。

単に人員的な問題の他には、今回は当日スタッフとして参加し、翻訳のハンズオンの世話役と、
ホール内の受付をさせていただいて、そこで感じたことであるけれども、

今回のタイムスケジュールに関して、聴講モノはエンジニア、ディベロッパー向けがほとんどになっていて、デザイナーや初心者向けにはハンズオンが多めに設けられていたようだけれど、
ハンズオンの方は参加できる人数が当然に限られていて、当日参加券が割当らなかった主にデザイナーのひとたちには
「何のために来たのかわからない」という声も正直あった。
「ハンズオンを傍で見せていただくこともできないのか」という声もいただいた。

WordCampにおいては近年、開発・貢献にウエイトが置かれる傾向を感じるが、
普及もまたWordCampのテーマであることは変わらないし、現に、少なくとも日本では昨年までの実績からもデザイナーの参加のほうが多い。
また、僕もそういうことが多いが、業界の人でもパソコンを持参せずに身軽で来場する人も結構少なくない。

マンツーマンのハンズオンは参加者の満足度はものすごく高くなるが、如何せん「初心者OK」をうたうと、運営経験者にはわかるが、WordPressはインストールしたが、どこにインストールされたかわからない、はおろか、CSSも、HTMLの知識すら怪しいひとも全部受け入れることになって、予想外のことに手を奪わえれ、たいていスケジュールは遅々として進まない状況に陥るものだ。

運営目線でズルい考え方かも知れないが、聴講のセッションなら登壇者は1人でよいが、ハンズオンとなるとサポートに人も借り出される。
参加者の満足度は下がるが、聴講セッションや、実機を使うセッションでも世話役1人が前でモニターでやっているものを見せて、みんなが調子を合わせて進行していくスタイルが、たくさんのことは出来ないけれど、大人数が収容できて、スタッフの負担も少ないはずだ。

ところで、1回のWordCampに賭けて、参加者も実行委員も全員が究極の満足になることを求めてはいないだろうか。

幸いにも現在、WordCampと各地のWordBenchはほぼ同じメンバーで、同じ運営ポリシーのもとで活動しているのだから、
たとえばKansaiならなおのこと、WordCampでとりあげた内容の掘り下げや、たとえばCampで聴講した内容を、引き継いで実践ハンズオンを各地のBenchが行うという方法もありなんじゃないかと思う。

会場では、奈良に通ってくださっている人たちにも、次回の和同弁知に来たいと、声をかけてきて下さる参加者さんにも出会えたし、
それが「普及」のほうの一面も担うと思うし、WordCampとWordBenchのそれぞれのルールに何か反していることもないと思うのだが。

“デザインおしえて君” @ WordBench神戸(2014/5/10)

5月10日のWordBench神戸で、3月に京都で行なった企画の「神戸版」が開催されました。

京都の回に参加された上村さんが、地元メンバーの賛同を得て実現したものです。

僕は直前になって参加表明をして、また頼んだわけでもなく代表回答者として前に出されたわけですが、京都でご一緒だった川井さんや他の方はスライドを用意され、前回より周到で完成度が高い感じでした。

午前に同じ場所でWordCamp Kansaiの打ち合わせがあり、関西のWordPress界隈では名の通った人たちが残り、意見も回答も参加してくださったので、全体としてグレードが上がり、豪華でしたね。
そのせいで、ただの発案者でたいした腕もない、なんちゃっての僕は京都よりさらに緊張しました。

会の印象としては、たとえば上村さん自身が京都で感じられたことなどからの反映もあるのでしょうが、所変われば品変わる、ずいぶん違ったものになった感じがしました。

具体的にいうと、京都ではそもそもデザインに詳しくないプログラマさんの疑問に答える意図で開催し、とくに司会進行でプログラマの瀬戸さんご自身が「なぜ等幅フォントじゃダメなのか」など、普段不可解に思われることを積極的に問いかけされたせいもあって、ほぼ目的どおりの内容になったのですが、

神戸はもっとプログラマさんが多くてその手合いの質問が多くなるのではと思っていたのですが、そもそもWordBench神戸の常連さんには女性を中心にディレクションにまで通じたフリーランスのデザイナーさんも同じくらい多く、会は意外やデザインやディレクションの目線で意見を交換しあう会になりました。

Twitterに流れてきた疑問にも答えていましたが、それぞれプログラマさんではないようでした。

なんといっても京都では象徴的な質問だった「1pxのこだわりって大事なの?」の議論が短時間で薄っぺらく終わった、その落差が衝撃的でした。

ほとんど触れられなかったので、1pxに関して、話すべきだったかなあと思ったのは、
Photoshop、Illustrator、Fireworksで1度描いたオブジェクトを拡大・縮小したり、
それこそWebでは1px以下は表現できないことを理解してないでオブジェクトを描くと縁がボケボケになることに、みんなちゃんと気づいてるかな?という話。

あと、Webデザインに関して言えば、
僕自身は、10年前のtableレイアウトのときは透過gifで1px単位でセル幅の距離調整とかしてたけど、
CSSレイアウトになって、FirefoxやSafariやChromeなど、ブラウザの種類が増えてからは、それぞれで見ても「違和感ない」ような見栄えになるように心がけてコーディングするようになっています。

でも、「違和感ない」といっても「適当」なのではなくて、ちゃんと決まったmarginやpadding、borderで作る。
適当な仕事をすると、どういうわけか、その適当さだけはWebは素人のクライアントやユーザーにももろに伝わる。
フォント選びもそうですが、そういうところを”当然に””普通に”ちゃんとやってのけるのが、対価としてお代を頂戴する、プロの仕事だと思います。

ただ、京都でも神戸でも、いわゆる「Webデザイナー」という人たちが、さらに向上のアイデアを求めて参加されていることへの配慮が、今回もこの内容でよかったのかなという思いが残りました。

「Webデザイナー」は「デザイナー」では括れない、コーディングも当然にするひとが「Webデザイナー」を名のるひとたち自身の認識だと思うので、たとえばCSSのテクニック的な話とか期待されてたんじゃないだろうか、と少し心残りがあります。

”プログラマさんのデザインに関する疑問にお応えする会” @WordBench京都(2014/3/23)

きっかけは先月、京都のSova MeetUpのセッション後の懇親会で、WordBench京都にも足を運んでくれている女の子が、

「WordBenchでプログラマ向けのテーマもやってほしい。自分の周辺のプログラマは青いデザイン、赤いデザインにしてと言えば、平気で原色で描いてしまうし、それをなんとも思っていない」と、涙ながらに言うので(・・・いや、泣いてはないか。)、

それは多少大げさかもしれないけれど、僕らデザイナー(=プログラマではないWeb屋さん)がプログラマさんに、おしえてもらいたいことがたくさんあるように、プログラマさんたちもデザイナーにおしえてもらいたいことはきっとあるんじゃないか、WordPressというソフトを扱う限り、WordBenchでは総じてデザイナーがプログラマさんからおしえてもらう構図ばかりなので、その逆もあってしかるべきじゃないか、

WordBenchはプログラマとデザイナーが呉越同舟する勉強会がゆえに、WordPressから少し話が逸れそうだけれど、じゅうぶん「WordPress好きの関心をはずさない」次元でまたとない機会だと思えたからである。(これが女の子に持ちかけられてなかったら、とか、そういうことは言うな)

WordBench京都のFacebookのグループページで、提案してみるとプログラマさんと思しき人たちの歓迎する声や、疑問に思うことがあれこれレスされ、議題にできる可能性が見え、幸いにディレクターでDTPにもWebにも通じている川井さんが話にのっかってきてくださり、23日瀬戸さんの進行で、川井さんと僕が主たる回答者としてアサインされてWordBenchの日を迎える。

関西地区で、プログラムやデザインについてちょっと名の通った方までお越しになられて、ちょっと緊張・・・僕なんて、デザインについてはなんちゃってで10年やってきただけやし・・・

内容については、今日までに参加者の方のブログに上がっているけれど、
補足として、とくにプログラマのみなさんにお伝えしたかったのは、

デザイナーがフォント選びやカーニングして文字間を整えたりするのは、デザイナーとしての職人のこだわりもあるけれど、視覚的に整理して文字情報を伝えようとしていること、

とくに「配色」については、プログラマのみなさんの大きな関心をよんだけれど、WebやDTPのような商業デザインは、アートではないのでヒラメキでやっているのではなく、ルールがあって、それには配色辞典やツールを使ったり、他のサイトなどを参考にしたりしているということ、

それぞれいい加減に行うと、いい加減さというものはクライアントやエンドユーザーにまで伝わってしまう。
だからこそ、そこをきちっとやってみせるのがお金をもらうプロの仕事だと思っているいうこと、

Designとは情報の整理、視覚化。
デザインとは詰め込むものではなく、いかに削ぎ落とすかということ。

誰に何をどう伝えるか。
目的や結果があって、そこにもっていくのにどうするのかという考え方の根本的なところはプログラムとじつは大差ないということ。

そう思っていただけると、一足飛びにというわけにはいかないとしても、プログラマさんのデザインにも変革を起こしていただけるのではないかなと思う次第。

参加されたみなさんの何かお役に立てたなら、うれしいな。

また、良くも悪くも参加されなかった方々のあいだでも反響があったようで、
同様の、あるいはこれにまさるセッションの企画があちこちで進行しそうでありがたく思っている。

WordBen茶(WordBench京都 分科会)第1回、shinchaya的ふりかえり。

2014/ 3/2
bonjor!現代文明
13:00~16:00
参加者 7名 (キャンセル3名)

wordbencha-140302ともに京都のご当地わぷーを描いて、お偶然に互いにお茶に関わって生きてきた縁のみこどんさんを交えた
WordBench京都の休憩時間の会話で、降って湧いたシャレの「WordBen茶」が実現した。

京都を代表するお茶、宇治茶を味わいながら、WordPressを学ぼうというもので、WordBench京都の分科会として、京都ならではのWordPressイベントとしての地位を目指している。

かくいう僕は家業の縁で茶業には繋がりはないではないが、宇治の方面にはツテがなく、まったくもって、みこどんさんのほうのコネに頼るばかりで、今回はもくもくと一般消費者には入手しがたい、生産者提供の貴重なお茶を淹れる彼の横で、お茶のウンチクをたれるだけの気楽な、名前だけ同然の共同開催者。

今回はコミュニティ会合用に開放された京町家の居間に参加するみんながお茶うけを自由に持ち寄ってお茶会をして、隣に歴史ある雛壇が飾られた床の間でWordPressカルタに興じ、カルタの札をきっかけに、WordPressやこれにかかわるWebの技術的な話を三々五々に、気さくに縛りも設けず各々会話する流れになった。
お手製のケーキの持参まであって、場の盛り上げに貢献してくださる心遣いには感謝・・・

ネコ好きが多く、会に縛りがないので、真面目な技術の話をしている最中に玄関先を過ぎていくネコのなき声がしようものなら、そっちのけでみんな走って出て行ってしまい、少し道案内の必要な場所の会場だったので、オモテで来る人を待っていてもらっても、ほったらかしでネコの方へ行ってしまう、
もう、「WordBenニャ」にでも即時改名したほうがいいような状況も繰り返す・・・(- -;

この週末、東京で開催されたオープンソースカンファレンスで配布された、新しいWordBench紹介フライヤーに、いきなり開催実績もないまま「お茶とカルタの会」と掲載され、ちょっと責任やハードルみたいなものが上がったりしたけれど、ありがたく知名度づくりの機会になったと前向きに考え、

会としては宇治茶は必須な位置づけにしつつも、京町家の畳の上でお茶をいただきながら、
WordBenchのようなセッションの括りにこだわらず、WordPressにかかわる質問相談、情報交換をはじめ、さらにもっとなにか京都らしい色を追求していけるイベントをつくっていければいいかなあと思う。

ここからは「奈良」の目線で、余談であるが、
同じような魅力的な町家も確実に同じくらいあるだろう奈良では、こういう町家の場所貸しも無ければ、利用しようというニーズも無い。
奈良の人たちはどうも、便利なものは外から情報を得たものがおしえてやらなければ、自ら変化を求めたがらない傾向にある気がする。
要は何かにつけ不足や不便を感じていないのだ。
むしろそういうものに敏感なひとは県外に出て行ってしまう。

だから、こういうものも誰かがつくったり、やってみせてあげれば、便利を理解してのってくる、
正直、田舎もん感覚なのである。

奈良の人が県内に残って自発的な動きをするのに委ねて、奈良自体の進化発展を期待するのは相当難しい気がする。
将来に道がない奈良に、大人になって有能な人材は残ってくれない。
京都がそういうことができるのは、明治になって首都機能を失ったときに、大阪に負けない近代都市をめざし、世界に誇れる京文化を守り育てる施策をもって取り組んできた気概が、街の人に自然に生き長らえているからであって、奈良が見よう見真似でできるものではないのだから。

デザイナーがゆえに気になる、わぷーのGPL。 #wpacja2013

2月21日、WordPress Advent Calendar 2013の21日目の記事を担当させていただきます。

日本のWordPressコミュニティにおいて、名だたるお歴々が代わるがわるテクニカルなお話を綴ってきておられますが、そういう意味では、タメにもならない、ちょっと気が抜けたような話になりましたら、申し訳ありません。(笑)

WordCampやWordBenchなどのWordPressの勉強会コミュニティは、そのソフトの性格上、IT・Web系のそれらにはない、プログラマとデザイナーが呉越同舟する、類まれな部類のコミュニティです。

仕事でディレクターが間に入らないとマッチングされないようなお互いが、WordPressへの名のもとに集い、
WordPressのことはもちろんのこと、デザイナーはプログラマの、プログラマはデザイナーのお互いの扱うものや当人たちのアタマの中を覗く、
とても刺激的な場所になっていて、それが縁でさらにお互いに他の得意分野を教えあうような機会が枝葉的に生まれたりしています。
僕にとっても、いまやこのつながりが仕事には欠かせない武器であり、財産になっています。

僕が奈良にコミュニティを仲間とともに立ち上げるに至ったのも、その価値を強く感じるからです。

そんなわけで、デザイナーにはデザイナーの目線のWordPressの楽しみ方や関心があり、
WordPress日本公式キャラクター「わぷー」もまた、デザイナーとってWordPress関連の気になる存在です。

僭越ながら、愚作でございますが、WordPress日本公式キャラクター「わぷー」をカスタマイズして、
昨年のちょうど今頃に、鹿せんべいを抱えた「奈良のわぷー」を、
今年の夏にはコミュニティの企画に参加して舞妓ちゃんの傘にすがりつく「京都・舞妓ちゃん&わぷー」を描いて、公開させていただきました。

作ったからには、それぞれが奈良や京都のWordPress関連のイベントや活用シーンで、望まれて使ってもらいたい。
そのためには素性正しいものであってほしいと願うのは、作り手のこだわりというもの。

ちゃんと調べて、正しい手続きで配布しようと考えました。

ところが、このWordPressの公式キャラクターは、WordPressとおなじ、ソフトウエアのGPLライセンスで配布されているという、
世にも珍しいデザイン・アート、画像でありながらオープンソースとおなじライセンスなのです。


GPLとは?

GNU General Public License
GNU(グヌー)プロジェクト(フリーソフトウェア財団)が規定した、プログラマどうしでソースコードを自由に融通して利用しあうためのルール

GPLに規定されている内容

著作権者はそのソフトウェア利用者に対してのような許可(ライセンス)を与える

0: 実行
1: ソースを見て調べて改変
2: 複製して配布(販売を含む)
3: 改変して配布(販売を含む)

かつ、2と3を行うときには配布された人にも同じことを許可(ライセンス)を与えること。
またGPLのソフトウェアを改変して配布する場合は、配布した相手から求められればソースの公開が必須であり、それがオリジナル版から改変されたものであることを明示する必要がある。


この理屈に照らして、自分が作った「わぷー」たちをGPLライセンスで正しい手続きで配布するとなると、

何が悩ましいかといえば、ソースコードのGPLであるならば、どこからどこまでの記述が改変箇所だということが当然に明示できるけれども、画像となると、「客観的に」改変箇所を示すしか、しようがない。

SVG形式で画像をソースコードであらわすことはできるけれど、実際問題、じゃあオリジナルの「わぷー」の部分のソースがどこまでで、どこから「鹿せんべい」なのか、明示することは困難です。

というわけで、苦し紛れですが、「奈良のわぷー」と「京都・舞妓ちゃん&わぷー」について、配布元のページでは以下のように書かせてもらっています。
間違っていたり、もっと適正な説明の書き方があれば是非、おしえてください。
(英文のChange Logは、単に気どって英語で書いてみただけですw)

WS000002

 

WS000000

しかしながら、僕がこのように説明文を書いているのが、正しいご当地わぷーの配布で、
他のご当地わぷーの在りようが間違っているというわけでもなく、

たとえばGPLのソースコードを改変してネットで公開すると、公開されたコードは即GPL適用になってしまうのと同じ理屈で、
カスタマイズされた「わぷー」をネットに上げて公開すれば、それも即GPL適用になっているわけで、
それを見つけたユーザーがこれを拝借して使用したり、カスタマイズする自由を妨げるものはないのです。

WordPress同様に、WordPressの魅力のひとつとして、「わぷー」のカスタマイズもどんどん楽しみたいものです。
来年もWordPressイベントのたびに、あるいは各地で、新種のわぷーが生まれるんでしょうね。