第一回 南地たに川 鶴の會(つるのかい) – 舞が語る、南地花街の物語 – 2026年12月開催決定

大阪・南地花街「たに川」の芸妓らの踊りの会「鶴の会」が12月開催される。

かつて日本最大規模を誇り、京都・祇園甲部と双璧を成した歴史のある大阪の南地は、いまは日本橋・島之内に「たに川」のお茶屋が一軒残るのみ。

その「たに川」で日々舞や謡いの稽古に励み、おもてなしの伝統を継承している若い芸妓たちが、悲願の踊りの会に挑む。

芸妓たちは舞を映画「国宝」の舞踊の振付・指導を担った、谷口裕和 氏に、長唄を今藤政之祐 氏に師事。

先達の思いを継承し未来につなぎ、彼女たちが描く南地の歴史を目撃しに行こう。

2026年12月12日(土)
(1回目) 11:00-12:30 (2回目) 14:00-15:30 (3回目)17:00-18:30
(出演)  立方: まり鶴 千鶴 福鶴 富鶴
    地方: おり鶴
(会場)  山本能楽堂 (大阪市中央区徳井町1丁目3-6)

チケットの購入申込みはこちらから

カンテキ割った、すり鉢割った

私が子どもの頃の昭和40-60年代 (1960-80年代)には、8月24、25日の夜には自宅に面した路地で地蔵盆の盆踊りが行われていた。

そのときにスピーカーから何度も流れていた曲は、大阪ことばの、面白おかしい、”けったいな”歌詞の盆踊り唄だった。

「カンテキ割った、すり鉢割った エノ 叱られた」

その唄がふと思い出されて、いったい何という曲目だったのかと調べてみたら、「堀江盆唄」に関する記事や動画に行きあたった。
だが、動画の音楽を聴いてみると、私が記憶している盆踊り唄らしい曲調の唄とはあきらかに違い、さらに深堀りして探していくと、ようやく私の思い出の曲は「地蔵盆唄」という名前があることを知った。

「堀江盆唄」とは何なのか。なぜ「地蔵盆唄」と同じ歌詞をもっているのか。

昭和6年に堀江遊郭では阿弥陀池・和光寺で盆踊大会が催されることになり、そのために作られたのが「堀江盆唄」なのだそうだ。
和光寺では舞台が組まれ、堀江遊郭の芸妓らが舞ったらしい。
私たちがイメージしている町内会の盆踊りとは少し様子が違うようだ。

NHKアーカイブスにある「堀江盆唄」の動画は、昭和6年のその時かは不明だが、何回目かのその様子の記録映画のようで、なんかチャップリンみたいな挙動不審な人物が出てきたり、作り物のわざとらしい印象もあるが、いずれにしても遊郭の選ばれし旦那客がビアガーデンのような感じで和光寺の境内で芸妓らの舞を鑑賞する、そんな機会だったようだ。

カンテキ(七輪)を割る、すり鉢、マッカ(瓜)、ナスビなど、大人になればわかるけれど、遊郭という場所柄な隠語だ。堀江盆唄は盆踊り唄らしい曲調とはあきらかに違い、堀江盆唄は芸妓が美しく舞うための調べになっている。三味線の謡いも聴いていて心地よい。

阿弥陀池・和光寺の盆踊りはNHKラジオが中継して、広くリスナーの耳に届き、堀江盆唄はさながら現代の新曲リリースのように即日から有名になった。

同時期に南地や、新興の花街だった今里新地などでも盆踊りを催されている写真や記録があるので、堀江がきっかけになったのか、どうやら花街では盆踊りブームが起こっていたようだ。

世間は世界恐慌で不況の真っ只中、景気とは無関係に富裕層がお金をおとしやすい場所として地域行政も花街の賑わいに期待し前のめりだったようだ。今里や松島のような新しい花街もこの時期に開設されている。

堀江盆唄は引き合いが多く、他の花街や、町内の地蔵盆でも使えるようなものとしてアレンジされた「地蔵盆唄」が生まれたのではないだろうかと推測する。
「地蔵盆唄」にはにさらにユニークな歌詞が足されて、隠語の意味はわからずとも地蔵盆の主役である子どもたちの笑いを誘う音楽に仕上がっている。

私が中高生の頃には、もっと子どもウケする「ドラえもん音頭」のような曲がスピーカーから流れるようになり「地蔵盆唄」や古典的な盆踊り唄は炭坑節か、河内音頭だけになってしまって、少子化が進んで地蔵盆の世話役をしていた大人たちも老いて引退して、代わりをするひともなく、地蔵盆自体行われなくなってしまった。酷暑の夏になってしまっては外で踊るのももう危険かもしれない。

「カンテキ割った、すり鉢割った」の歌詞の面白みを、後世に残してほしいのだけれど。

でも「鬼滅の刃」の遊郭編にも過剰反応してしまうような保護者らが教育上よろしくない言葉が歌詞が含まれていると苦情して、もうあかんかもな。

梅若梅朝さんが「堀江盆唄」から「地蔵盆唄」を連続で演奏、謡いをされる動画

「ひとり囃子」を考察する

ひとり囃子 – “祇園祭”より –
作詞:喜多條忠 作曲:平尾昌晃

四条通りの日盛りを長刀鉾が通ります
去年の夏に見た時はあなたと私は揃いの浴衣
はぐれちゃ嫌よと手をつなぎ
冷たいラムネを飲みました
あれからあなたは帰ってこない
今から思えばわがままで
強がりばかりの私でした
ごめんなさいねといいながら
祇園囃子と人波に押されて思わず泣きました

鉾の上から十字路に青い粽が散りました
去年の夏のお祭りはそれでももっと賑やかでした
八坂神社の石段さえあなたと歩けば多かった
あれからあなたは帰ってこない
今から思えばあの時に
生意気言ってた私の頬を
音立て殴って欲しかった
私ばかりか京都まで捨ててどこかへ行った人

昭和の古い歌謡曲で申し訳ないのだけれど、祇園祭の頃になると、子どもの頃に聴いたこの歌が必ず僕のアタマの中で流れる印象深い曲なのだ。

ここ10年余り、会員としてささやかながら大船鉾の支援もさせてもらうようになって、祇園祭についてもそれなりに詳しくなって、この歌の歌詞をあらためて読み直してみて思ったことを書いてみる。

一聴して、女性を捨てた男性が身勝手で悪いやつだなと思うかもしれない。
歌う女性の気持ちになれば自然なことだ。僕もずっとそう思っていた。

でも、祇園祭について知識がつくと、この歌詞の情景に疑問が湧く。

なんで、恋人とのデートに山鉾巡行なんか選んだのだろう?

山鉾巡行は昼間に行われ、四条通沿いに見物客が鈴なりになって山や鉾が進むのをじっと眺めている。

そんなところに揃いの浴衣で来ている二人。

祇園祭でデートするなら普通、常識的に考えて、夜の宵山じゃないのか?

二人のペースで山や鉾、屋台を彷徨いながら、二人の会話や時間を楽しむ。
揃いの浴衣だって、道行く人に自分たちが仲の良い恋人同士だってことを見せびらかすようにあるようなものだ。

山鉾巡行でひとところに立ち尽くして、みんな四条通のほうを見ていて、揃いの浴衣で汗だくになって何の意味があるのだろう。

だから、こう考察する。

男性は夜の宵山で、女性に求婚するつもりだった。
揃いの浴衣もそのつもりの準備だった。

男性は京都の人ではなかったのかも知れない。

「祇園祭に行こう」と誘ったら、普通は夜の宵山のデートに決まっている。

でも、女性は「山鉾巡行に行こう」と言い出した。

京都人の彼女は、男性に勇壮な山鉾巡行を見てもらおうと思った。
そのほうが男性は見てよかったと喜んでくれるだろうと思って気をきかせたつもりだった。

彼女は彼女なりに男性と山鉾巡行を見る時間を共有することが、今後の二人にとって大切な思い出になると思っていたかも知れない。

しかし、男性にしてみれば、巡行の喧騒のなか、ひとところにいて、他の人もその場にいて、求婚などできようはずがない。

この女性とは無理なんだと、失望した。

最後の日になる山鉾巡行に、せめてもの気持ちで、揃いの浴衣を着た。
それを最後に、女性の居る京都には足を運べなくなってしまった。

でも、そういう男性の機微に、女性は気づけていない。

とまあ、こういうふうに解釈した。
ひとり、深い歌だなあと悦に入っている。

【祇園祭・大船鉾】龍にまつわる大丸とのご縁・船鉾より大きいのか?

大船鉾の龍頭と大丸とのご縁


祇園祭・後祭の「大船鉾」は年替わりで船首の装飾が「大金幣」と「龍頭」と交互する。
これは鉾を保有する四条町が昔、北町と南町に分かれていて、年交代で鉾の船首を替えそれぞれが曳行していた歴史に由来する。

江戸・幕末の蛤御門の変の火災で大船鉾とともに焼失した「龍頭」は、東福寺駅から近い瀧尾神社の昇殿の天井にある龍の彫刻と同じ彫刻家 九山新太郎の手によるものだったらしく、創業の初代 下村彦右衛門以来、瀧尾神社に信仰があつかった大丸が仲介をされたようで、大丸は大船鉾の「寄り町(他所の町からの支援者)」だったそうである。

【公式】京都市指定有形文化財 瀧尾神社

平成の龍頭はこれにならって瀧尾神社の龍を模して新調され、近年は祇園祭の期間に大丸京都店のショーウィンドウには大船鉾の龍頭や瀧尾神社の龍の頭部分が飾られるのが恒例になっている。

2014年の本体復興以来、大船鉾は年ごとに懸装品の復元、新調、塗り、部品などを段階的に追加し、華やかなもとの姿に近づいていく、毎年飽きの来ない楽しみがある。

瀧尾神社の昇殿の天井に舞う「木彫り龍」も全長8mの圧巻の彫刻で、東福寺方面に行かれる機会があれば足を伸ばして見るだけの一見の価値あり。祇園祭期間は頭が大丸に貸し出されているので、その時期を避けて全身揃っている姿を是非見てほしい。

大船鉾は船鉾よりほんとに大きいのか

宵山の停泊中に大船鉾はもちろん、前祭の船鉾にも搭乗したことはあるけれど、”大”船鉾は船鉾より大きいのかは、同時に鉾建てされることはないし、体感ではよくわからない。

ただ船鉾の船首の「鷁(げき)」の彫刻に対して、大船鉾の龍頭や大金幣のサイズや重量を想像するとバランスをとるには大きくならざるを得ないような気がする。

調べてみたら、大船鉾の復元設計にたずさわられた方の話によると

大船鉾の軸組製作でも、船鉾の構造を踏襲することがワーキンググループで確認された。
船体の寸法決定では、四条町内に大切に守られてきた懸装品を上記の構造に当てはめた。
鉾の改修設計と同様、構造を化粧に合せる逆向きの作業を伴う。・・・・・・
全長は長くとも大船鉾の前懸後懸の幅は船鉾より狭い。
この点を根拠に、構造に無理のない範囲で細長のプロポーションを目指した。

(再生研理事 末川 協「大船鉾の復元設計」より)

やはり大船鉾は、船鉾より全長が長くて、そして船鉾よりスリムなのだそうだ。


大船鉾は復興時から菊水鉾から譲り受けて使っていた「たま(車輪のこと)」を新調し、現在は7尺(2.13m)の全山鉾で最大サイズになったので車高(船なので全高というべきか)も上がっている。

映画「鶴になる」地元・大阪 ミナミで一般上映

大阪のミナミの花街、南地に一軒残るお茶屋「たに川」で御披露目になった芸妓 千鶴さんの、見習い期間を追いかけたドキュメンタリー映画が、大阪・ミナミにある「シアターエミュ」で一般上映されることになった。

現在は千鶴さんは、上から二番目のお姉さん芸妓になり、依然として贔屓客やファンが多く、変わらず今後も注目の存在だ。

花街や芸妓・舞妓に関心があられるひとはもちろん、そうでないひとにも、広く世代を超えて鑑賞していただきたい作品になっている。

Theater Aimyou(シアターエミュ)@theateraimyou
【上映期間】2026年2月7日(土) ~ 2026年2月21日(土)
【上映料金】2,000円

https://theateraimyou.com/whats-on/#coming-soon

チケットの購入に関しては上映スケジュールが決まってから可能のようである
いまサイトにアクセスして購入ページが表示されない場合は後日アクセスしてほしい。

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映画「鶴になる」
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芸妓さんになりたい。

そう思った1ヶ月後、高校を辞め、京都へ。しかしすぐに世間はパンデミックに見舞われ、自身の体調も悪化。
夢を断念し、地元大阪で就職した。そんな彼女が再度、芸妓を目指すため「たに川」の門を叩く。
見習いから芸妓になるまでの知られざる道のりを描いた。

監督:島田拓空也
出演:千鶴・玉幸・いち鶴・まり鶴谷川恵花柳旭扇

公式Instagram:@tsuruninaru_0220

 

第3回 芸妓・舞妓の異分野アート交流展をふりかえって

アンケートにお気に入りの一票やご感想をくださいました方々、
こちらをご覧になられておられるかどうかも知るよしもなく、非礼で申し訳ございませんが、励みになります。
期間中ご来場くださいました皆さまありがとうございました。

ここからはホンネ。

飾っていただいた拙作は、はじめて手がけたデジタルツールによるイラストで、正直なところツールが使いこなせておらず、まだ不勉強なところはある。

今回は出品された他のかたの作品にもPhotoshopなどで写真を加工されたものやら、それを”CG”と語っているものがたくさんあった。
奇しくもというか、時代の趨勢ということやも知れぬ。

私は自分の絵が他のかたの作品にまさっているとは思わないし、そもそも絵は上手下手を論ずるものではないと思っているが、本業であるウェブ制作の仕事で、Photoshopなどを使うことは日常的で、これを使いこなして、デザインや成果物がクライアントのご要望に沿っているか、狂いなく精緻にできているかにこだわって、それで生活してきているので、今回の展示作品のそれらには、いかにもPhotoshopのエフェクトを使ってみただけかのような”素人くささ”が見て取れて、気になってしまうものがほとんどで、そもそも異文化アート交流という名のもとに、誰でも何でも出品できてしまう展覧会は、今年は私個人としては玉石混交な印象を強く感じてしまった。

ブレや不鮮明は手で描かれたものでは味があると受け取れても、デジタルツールを使った作品ではデジタルゆえにどうしても許容しがたい不快感になる。

今回の拙作について来場者のアンケートでは、アニメっぽくて好き、とか、おそらくは若い世代のかたの好意的なメッセージが寄せられたけれど、今後拙作のような作品は1、2年くらいのスピードでAIを使えば誰でも描いてしまえるレベルになる気もしていて、次回作の制作や出展は結構悩む。

それと、公募展や、個展や、誰とも作品の秀逸さを競わない自己満足なだけの「駄サイクル」から脱して、ブザマな結果でもよいのでコンクールに出してみたい気持ちもある。

大阪人の1月17日 (阪神大震災)

毎年1月17日は懺悔している

たぶんいまの50代以上の大阪人は震災体験のある同世代に対して何かしらコンプレックスをもっている

あの日確かに普通でない揺れを感じて目を覚ましたが
隣県とは恐ろしく対称的に、交通が寸断されたくらいで大阪はまったくかわらない日常だった

自転車で神崎川の橋を渡ってきた芦屋に住む叔父が別世界に来たかのようでパチンコ屋から音楽が流れてくる街に呆れかえってしまったと言っていた

至近距離なので倒壊した建物もたくさん目にする機会もあったし、
被災した親類縁者にも「大変でしたね」と同情してみても、
地震の映像や普段の小さな揺れにトラウマをおぼえる人の気持ちは真にはわからないし
結局幸せな側にいるがゆえに言ってるほうもどこか他人事のようになっている気がして
話題にするのもわかったふりするのも、失礼な気がして

あえてこれまでも兵庫県の人がいるところでは震災の話はこちらからは持ちかけてこなかった

震災を実感したのは発生から数ヶ月か半年か経ったあと神戸に行って
お気に入りだった、旧居留地にあったラルフローレンの店が入っていた建物がいくら探しても見つからなかったことだった

結構ショックだったけれど、そんな気持ちも失礼な他人事のようで
趣味の合う人たちにも、ひょっとしたら今日まで話したことがなかったかもしれない

「シーズ・レイン」という映画には震災前のラルフローレンが映り込んでいる
いまや震災前の神戸を懐かしむ映画の位置づけになってしまっているが、
原作の小説から好きな者としてみれば、おかげでストーリーはまったく注目されなくなってやるせない

その気持ちすらも失礼なのかと思い悩む

今は体験を風化させない意味や南海トラフの危機が迫ると言われるなか、
TVなどが積極的に神戸の震災を取り上げ、
震災を知らない、あんまり憶えてない世代が積極的に語るようになったけれど

このコンプレックスは解消することはない
防災グッズや対策をして来るその日に備えよう、というよりは
ホンマにそんな日が来ない幸せがみんなに誰にもつづくことを祈りたい

第2回 芸妓・舞妓の異分野アート交流展をふりかえって

開催前 – 準備

京都の芸舞妓や花街の写真で知られる溝縁ひろし先生の主宰で開催される、芸妓、舞妓をテーマにした芸術作品であれば、写真、絵画、造形などジャンルを問わず参加可能な展覧会で昨年に続いて2度目の開催である。
参加されている作家の方々はプロ・アマを問わず自由参加であるが、溝縁先生からお声がけをされた方、先生主宰の撮影会に参加された方、細々と発信された情報を何らかで知り得た方で、現状は広く公募されているというわけではない。

私はこの展覧会については第1回の開催の案内を新聞社系カルチャーセンターの事務局から、以前に参加していた舞妓をモデルにした写生会の参加者全員に送られた出品お誘いの案内状で知ったが、第1回については様子見するとして参加を見送っている。

第2回からの参加を決めたのは、SNSを介してリアルにも親しくさせていただくようになった絵画の作家さんたちが第1回に参加されていたこと、溝縁先生の知名度によるところ大でもあるが、ギャラリーが祇園町にあるという立地、基本的に芸妓、舞妓に関心のあるお客さんの来場が多くあるということで、昨年、神戸や大阪で作品出品をした機会の”場違い”感、いまひとつの感触の無さもあって、真に芸舞妓に関心のある方々の反応を感じてみたいと思ったのが理由だ。

参加意思の表明は昨年中に何度か溝縁先生の写真展などでそのたびにご本人に直接お会いして話す機会があり、その都度、意思をお伝えしていたので、正式に参加募集の案内状を頂き、メールで参加を確認した。

作品搬入・搬出については準備日と撤去日がともに平日で、仕事をしていて参加できないので、作品を梱包して会場へ配送し、撤去後にその箱を使って着払いで返送していただいた。

画材や額縁の専門店で額装してもらっていると、額が収まるダンボール箱を取得できるが、IKEAで買い求めた簡易で廉価な額のため、そういうものがなく、ダンボール箱をホームセンターに求めるが最も適当と思われるサイズも額に対してはまだかなり多くて、新聞紙をまるめて緩衝材を多めに入れたりしたが、宅配業者曰く、料金もそのせいで1つ高い金額になっているようだ。

作品について

昨年の神戸で出品した「姉妹の門出」をリメイク。

神戸出品の作品は、2021年に描いたもので、手掛けたときから(その出来はともかく) 京都の祇園の界隈で飾ってもらえることを夢見ていたので、ことし2024年になってすぐ描きはじめたもの。
これまではペンでフチどりして仕上げてきたが、あえてそれをしないでおいた。
下手なりの3年間の技術の進歩と、ペンのフチどりが無いことで、明暗や柔らかな感じや、脱・漫画な印象にできたように思う。

開催中

在廊については溝縁先生から日時の相談と指定をされたが、入り時刻は指定でも退出に関しては拘束がなかった。
先生と京都在住の出品者の方々が基本的に開場から閉場を網羅するようになさっていたように思われる。

芸妓・舞妓をテーマとした作品を展示する場所としては祇園町にある「ぎゃらりぃ西利」さんをしてこれ以上の場所は無い。
(あるとすれば、現実性はないが歌舞練場くらいしか考えられない。)
会場にいて、拙作も期待どおり来場の多くのお客さんにしっかり見ていただけている実感もあった。
遠方から足を運んでくださった方々にも本当に感謝したい。

開催以降思ったこと

条件が揃っていて、満足度の高い機会だった。
が、しかし、この展覧会に参加された方々の大半は、定年後の趣味として芸舞妓の写真を撮影するご高齢のアマチュアカメラマンの方々で展覧会は彼らの思い思い、趣味の作品の発表会になっているという現実がある。

そのこと自体を否定するものではないが、芸術絵画の作品は互いに並べられて競い合い、高めあっていくもので、ジャンルも違い、その方向性も違うものと共存することに、やはり違和感をおぼえないわけではない。
もちろん、描かれる作家さんによっては高みを望まない方もいらっしゃるかもしれないが、私個人としてはもの足りず、若い世代の人たちも交えて高めあえる機会であってほしい。

そういう意味で、今度は芸妓・舞妓をテーマとした絵画部門だけで、できればこの祇園町の界隈で合同展を行いたいものである。
ゆくゆくは個展ができればよいのだけれど。

映画「鶴になる」 – 大阪・南地で芸妓をめざす女性の一年を追う

2023年11月27日、大阪のミナミの花街、南地に1軒残るお茶屋「たに川」で御披露目になった芸妓 千鶴さんの、見習い期間を追いかけたドキュメンタリー映画の制作がすすんでいる。

千鶴さんはすでに見習いのときから贔屓客やファンを多く集め、南地の期待の新星として注目を寄せている人気ぶりだ。

映画は国内、海外映画祭に出品を予定し、2024年2月からのクラウドファンディングで上映をめざす。
ご関心あられる方みなさんのご協力と上映されるあかつきのご鑑賞を是非お願いします。

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映画「鶴になる」
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芸妓さんになりたい。

そう思った1ヶ月後、高校を辞め、京都へ。しかしすぐに世間はパンデミックに見舞われ、自身の体調も悪化。
夢を断念し、地元大阪で就職した。そんな彼女が再度、芸妓を目指すため「たに川」の門を叩く。
見習いから芸妓になるまでの知られざる道のりを描いた。

監督:島田拓空也
出演:千鶴玉幸いち鶴まり鶴谷川恵花柳旭扇

公式Instagram:@tsuruninaru_0220

 

 



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悲願のTHE GREAT KANSAI DERBY (関西対決 – 阪神vsオリックス)

阪神タイガースとオリックス・バファローズの関西のチームどうしの日本シリーズが実現した。
前回が1964年の阪神×南海で59年ぶりになる。

「関西シリーズ」とか「関西ダービー」とか「阪神なんば線シリーズ」とかいろんな名称で呼ばれる2023年の日本シリーズ。

阪神とオリックスでは「THE GREAT KANSAI DERBY」とすることに決めたようだ。

大阪環状線の、京セラドームの真反対になる界隈で過ごした子どもの頃は、パ・リーグに”在阪3球団”の南海ホークス、阪急ブレーブス、近鉄バファローズがあって、家から日生球場も大阪球場も近かったから、僕ら男児みんなの頭には阪神を含めたいずれかのチームの帽子があった。

前期後期にわけたリーグ戦でそれぞれ優勝を重ねていて、そのたびに系列の百貨店がセールをするので定例の祭のようになっていた。

セ・リーグとパ・リーグの垣根を越えて開催される春のオープン戦は僕らには公式戦より楽しかったかも知れない。
阪神ファンの僕には甲子園球場の公式戦では見ることのできないビジターユニフォームや三塁側での応援が楽しかった。

そして僕らの夢は阪神と在阪3球団それぞれとの日本シリーズ対決だった。

南海がパ・リーグで優勝を重ねていた頃は、讀賣巨人がV9時代で阪神はセ・リーグを勝ち抜けなかった。
阪急、近鉄の黄金時代は、セ・リーグは赤ヘルカープの黄金時代でまた阪神は勝ち抜けなかった。
阪神が1985年に優勝したときはパ・リーグは西武の黄金時代で、2003年と2014年はもう関西のチームではないホークスだった。

「在阪3球団」。

阪神ファンが道頓堀や大阪で騒ぐのを見て、兵庫県の球団なのにおかしいと憤慨される最近の若い世代の方々には理解し難いかもしれないが、本拠地球場は兵庫県にあっても、かつては阪神も阪急も球団本社が親会社の膝もとの大阪市内にあったので、「在阪」、本拠地は大阪と見なされるのが普通だった。
球場は大阪に本社のある鉄道会社の「沿線施設」で、みんなホームが大阪か兵庫かなどと考えることすらなかった。
「営業圏」という感覚が正しかったかもしれない。
だから個人的には「関西」と括るのも大きすぎる感じがしてちょっと違和感もある。

それは関西に限ったことではなく、球団が集中した首都圏でも同様で、本拠地を都道府県で強く意識するようになったのは、1994年に「ホーム」を強く意識した運営をするJリーグがスタートしてからである。

大阪市の東寄りに住む僕らは町工場か魚屋、八百屋、果物屋、菓子屋の子どもで、町工場といっても自宅の1階が仕事場で2階で生活していて、店をする家庭もそうだった。

バブル景気を迎えた頃には大手メーカーは下請け工場を海外に求め、町には大型のスーパーが出店が相次ぎ、僕らの家の商いは危うくなっていて、僕らは親から将来は家業は継がずに会社勤めするように口酸っぱく言われて育つ。

家業を継がないのなら実家にいる必要はないから就職し家庭をもつ頃にはみんなこの街からいなくなった。
工場だった家はなくなってマンションや住宅に変わり、商店街はシャッター通りになった。
奇しくも同じ頃、1988年に南海ホークスは買収され福岡に移転し、阪急ブレーブスはオリックスに買収され、その後神戸でオリックス・ブルーウェーブ になり、2004年に大阪近鉄バファローズを吸収合併、東北楽天ゴールデンイーグルスと分裂して、いまのオリックスバファローズになる。

もう会うこともない、街から出ていった”在阪3球団”のファンだった友だちはみんなそれぞれ、互いに夢見ていた”関西対決”の今年の日本シリーズをいったいいま何処でどんな思いで見ているだろう。

50年待った、とうとうかなった、本当に嬉しい。
阪神ファンなので、タイガースに是が非でも勝ってほしいけれど、いま格別に愉しい時間である。

できることなら、あの頃の小中の同級生たちと語り合って、それぞれを応援したいのだけれど。


追記。
記念乗車券買ってきた。
世が世なら阪神と阪急と近鉄3社がいっしょの記念乗車券。
なんかちょっとおもしろい。

(2023.11.01 改訂)