十日えびす」カテゴリーアーカイブ

東京のYEBISUな神社

つい最近、ホームページのお仕事でクライアントの賃貸物件が大阪の恵美須町にあるのに、EBISUと名前につけてるのを見て、間違ってはないけど詐欺っぽいなあと思ったことがある。

そういえば、知ってる関西の人が東京に転居されて1月10日だから、恵比寿の恵比寿神社に行ってみたけど、何もやってなかったと言っていた。

東京の恵比寿という場所はもとは下渋谷村というところで、明治22年にヱビスビールの工場ができて、ビールの出荷用にできた貨物駅も「恵比寿停車場」と名付けられ、この界隈は工場で働く人の生活の場ともなり、昭和3年に村は恵比寿という地名になったらしい。

恵比寿には2つの「恵比寿神社」があって、ひとつはヱビスビールを製造する日本麦酒醸造会社、いまのサッポロビールが明治27年に工場の敷地内に自社の商売繁盛を祈念して、兵庫・西宮神社から勧請されたものが、工場跡に恵比寿ガーデンプレイスができたのを機に一般に開放されたもので、そういうわけだから、社務所などもない。

もう一つの恵比寿神社はもとは「天津神社」と称されていた神社に、戦後の区画整理に併せた社殿新築を機に、事代主神を合祀して、以来「恵比寿神社」と改称されたそうだ。

そういうわけで商売繁盛のえびす信仰と縁はあるものの、祭礼や風習まで引き継ぐほどのものではなかったということである。
サッポロビールが勧請したのがヒルコ神で、旧天津神社のほうが事代主神を勧請していて、えびすさまと呼ばれるの二神をそれぞれに祀っているところが偶然なのか、旧天津神社のほうがそうしたのか、なかなか興味深い。

余談であるが「エビオス錠」という薬の名前がエビスっぽいはもともと発売元が日本麦酒醸造会社で、ヱビスにギリシャ語で「命の素」という意味のBIOSを合体させて命名したからだそうである。

京都のえべっさん

(訪問:2016年1月11日)

京都えびす神社は、縄手通(大和大路)を挟んで向かいにある建仁寺の守護として、栄西禅師が自身の故郷の岡山から迎えたえびすさまで、西宮や今宮のように海との縁から祀られたえびすさまとはちょっと事情が違うが、参詣者が笹をいただいて帰るとか、壁を叩いて耳の弱いえびすさまに願掛けの念押しする、十日戎詣りによく知られた習慣はここが発祥と考えるのが妥当な事情がある。(詳しくは過去記事を参照。)

とくに京都のえべっさんらしさを感じるのがのこり福の日で、近隣の祇園町から昼に、宮川町から夜に舞妓が来て笹配りをするところだろう。

お笹は巫女が舞う神楽で祈祷される。
お笹には御札(お守り)がついた状態でお金を出して授かる。

のこり福の日は舞妓さんのひとりから手渡しでお笹と、この日だけお餅をもうひとりからひとつ授かる。

お笹を授かれば境内奥、西の出口になる鳥居のほうへ誘導され、笹飾りを求めることになる流れだが、今宮戎しか知らない人は、お笹をお金を支払っていただいているのに、さらに子宝にお金を支払うことに何だか承服しがたいものを感じるやも知れない。
まさに「祇園価格」のお笹というべきか。

西宮のえべっさん

(訪問:2016年1月10日)

えびす総本社を名乗る西宮神社。
厳密に言うと、ヒルコ神系の総本社になる。(島根県の美保神社がコトシロヌシノミコト系の総本社を名乗っている。)
イザナギノミコト・イザナミノミコト夫婦によって海に捨てられたヒルコが西宮の浜に流れ着いたという伝説がある。
イザナギノミコト・イザナミノミコト夫婦の第一子なのだが、西宮神社では日の神(アマテラスオオミカミ)、月の神(ツキヨミノミコト)の次に生まれた「神」として「戎三郎」の異名がある。

そもそも西宮神社は市内の北の山手のほうにある廣田神社の摂社だったが、えびす信仰が室町時代廣田神社の主祭神を上回ってしまって、今日に至っている。

今宮戎や京都のえべっさんに通いなれている人には笹飾りする子宝が境内に居並ぶ立派な屋台店(「吉兆店」)で買うことに、あらためて本家のスケールの大きさを感じるだろう。

拝殿入口でやぐらに上った神職にお祓いを受ける。

エビスに参ればダイコクに参るのはどこでも皆お約束のように考えるようで、境内には大国社があり、本殿を詣ったあと併せてこちらに詣られる人も多い。

お笹は巫女から求める。
小ぶりのプラスチック製だ。

「吉兆」は拝殿前のエビ色のれんの「吉兆店」で求める。
「吉兆をください」と言わないと見つからないかも知れない。
西宮に参詣される方で「吉兆」という小宝自体をご存じの方は少ないような気がする。

また西宮神社にはえびす神のもう一つのお姿の「荒ぶる魂」が別に「沖惠美酒(あらえびす)」として祀られており、「えびすさまの両まいり」をするようすすめられている。

 

えべっさんの正体

京都・建仁寺と、縄手通(大和大路)を挟んで向かいの京都えびす神社との関係は、聖徳太子の時代もそうであったように大寺の建立の安全を祈願してすぐそばに神社が先に建立される例もしかり、その後も長く明治まで神仏習合時代であったため、特段珍しいことではないが、その由来となる伝説では栄西禅師が中国に渡航するときに嵐に見舞われ、エビス神の導きにより、無事目的地に到着したということで、建仁寺の建立に合わせてえびす神社がこの地に造営されたのだそうである。
この神社の事代主神は御分霊で、もとは栄西禅師の出身地の岡山からもってこられたもので、ゆえに他のえびす神社に見られるように、現在や昔の漁村であったり、かつて市が立つようなところといったロケーションとは無関係に存在している。

そもそもエビス神とは何者でいらっしゃるのか。
えびす神社各社により、御祭神が蛭子神であったり、事代主神であったりということは先にも述べたとおりであり、神社によっては時代が下がって相互に置き換えられてしまったところもある。
七福神では唯一日本の神といわれるのに、エビスという名称自体は外国人をさしていたり、まったく意味不明だ。

ただ、栄西禅師がエビス神の導きで無事に渡航できたこと、全国の漁村近くに祀られることから、海の幸、海の恵みをもたらす何かであったことは想像できる。

ある書によると、
それはイザナギ・イザナミの最初の子にして未熟児がゆえに海に流されたヒルコの伝説を手がかりになるが、おそらくはイルカのような大きなサイズの海洋生物か、人の水死体で、魚たちがこれを餌にして大量に群がっていたところに、漁師たちの船が出くわして、結果豊漁となったので、この何かの水死体を漁村に持ち帰って、埋葬して神様として讃えたのではないだろうかということだそうだ。
だからそもそも蛭子神か事代主命かはあと付けのプロフィールでしかないので、途中で置き換えることも躊躇がなかったのではないかと思われる。

推測であるが、栄西禅師はそのまさに魚が群がっているところに遭難した船が差し掛かり、漁師の船が来て救助なり沖まで誘導したのではないだろうか。
あるいは捜索中の人の水死体に遭遇して、捜索の船にともに救助されたのかもしれない。

今宮のえべっさんは京都出身

大晦日、境内におけらの縄に火を灯しに集まる夜21-22時頃、八坂神社に鯛を抱えた神職と金の烏帽子の一行が参詣する。
大阪の今宮戎神社の福娘たち。
年が明けて正月の十日えびすで役目をつとめる子たちだ。

宵えびすを翌日に控える8日午前、今宮戎神社に、今度は京都・八坂神社から神職と巫女によって御神水が届けられ、そのお水で献茶祭が行われる。

八坂神社と今宮戎神社の相互交流は、今宮のえびすさまは、八坂神社の氏子が大阪の今宮の地に移り住むにあたり、八坂神社の北向蛭子社から勧請されたというという説によるものだそうだ。

その説の真偽は定かではないが、江戸中期に今宮の魚商人が蛤を京で売る利権の交換条件に三若の衆が代理で祇園祭の中御座の神輿を担がせていた時期があることと関係がありそうだ。彼らは”今宮神人”と称されていたそうだ。

演芸と商いの街ミナミの地という土地柄にあり、毎年選ばれた福娘たちが打ち揃い、華やかさと賑やかさで、数あるえべっさんの中でも一番大阪らしさのある今宮のえべっさんはじつは京都の出身なのかもしれないらしい。

11日ののこり福には舞妓ちゃんたちの笹授与の奉仕がある京都えびす神社であるが、花街・祇園町では十日えびすは八坂さんのえべっさんを支持する方も多い。
それは祇園さんの氏子であるがゆえでもあるが、縄手のえびす(京都えびす)について、”縁起が悪い”などという話を聞いたような気がする。

じつはそれは十日えびすの期間は客足を取られてヒマになる、お茶屋やお店の恨み節なのだろう。

多くの信仰を集めるがゆえの話なので縁起が悪いなどということはないから、安心して商売繁昌を祈念しに足を運んでいただきたいたい。

七福神のえべっさんだけが本当に唯一日本代表なのか

七福神の大黒天、毘沙門天、弁財天はインドの神様、福禄寿神、老寿神、布袋尊は中国の神様、唯一 恵比寿 えべっさんだけが日本の神様と言われているが、それにしても異国人を表すエビス(夷)と称される神が日本代表とは違和感ありありな話である。

大黒天が日本の大国主命(オオクニヌシノミコト)が”ダイコク”で結びつくという話はここでは置いといて。

ギリシャ神話に恵比寿神に関わるような部分が見受けられるのだそうだ。

酒神バツコスの別名が”エビオス・エビウス”と聞けば、えびす総本宮の西宮の酒造りを想起するし、彼にちなんでエルサレムはかつてEbusと称され、これが夷の語源である可能性が高いそうだ。

とくに気になるのはえびす神社の主祭神はヒルコと事代主命(コトシロヌシノミコト)の2系統に分かれていること、同一神とみなされていたりするという話を先の投稿に書いたが、そのエビオスは戦争神”カタシロ”としての一面をもつとのくだりがあるそうで、もう無関係な話とは思えない。

奇形に生まれたヘパイストスが海へ捨てられるくだりはヒルコの伝説ほとんどそのままかに読み取れる。

ギリシャ神話にはえびす様の件以外にも、先述のオオクニヌシも、イザナギイザナミに至るまで日本神話(古事記)がこれをなぞっているように思える物語があるようだ。

つまりはえべっさんも日本の神ではなくギリシャ神である可能性はある、と言いたいところだが、日本神話の神様まるごとギリシャ神の可能性も否定できず…回り回ってえべっさんは日本の神様ということになるのかな。

まあ日本代表といっても、ラモス瑠偉や呂比須ワグナーといった感じかな。

奈良時代、古事記の編纂に大陸からの渡来人が天皇が神に通ずる存在であるとする話をギリシャ神話を参考に創作されたかも…ということなのかもしれない。

(参考) ヨセフと大物主… – 新次元の叡智を生きるか
http://trakl.exblog.jp/17939427/

西宮、今宮の廣田神社、えびす神社

今宮戎神社の北に廣田神社があるのだが、えべっさんの北の方角に廣田神社があるのは西宮と同じ構図なのは興味深い。

今宮戎神社は祇園・八坂神社の蛭子社から八阪の氏子が今宮の地に分祀・勧請したことにはじまるとの説があり、これにちなんで、前年の大晦日に今宮戎の神職らが福娘たちとともに八坂さんに鯛を奉納し、翌1月8日、今宮戎の献茶祭に八坂さんから御神水が届けられることが続いているそうだ。

西宮、今宮の廣田神社、えびす神社の創建はそれぞれ不明であるが、平安時代にはえびす信仰があり、西宮えびすは廣田神社の摂社から発展した経緯があり、今宮は西宮にならい、先にあったか同時であったかはわからないが、廣田神社に八坂さんからえびす様が祀られたのではないだろうか。

それぞれもともと漁師浜で、西宮は酒樽を積む港になったこと、大阪も「天下の台所」として海運が盛んになり、豊漁・海上安全の神様が商売繁盛の神様に転じたことは想像に難くない。

創建に関しては西宮のほうが今宮よりは先のような気がするが、しかし現在のような賑やかな十日えびすについては、西宮神社はえびす総本社と称されているが、祭られているのはヒルコ神で、今宮の事代主命とは別の神様なので、そもそも上下関係はないし、京都えびすを含めて、比定できないとことだと思う。

まあ、ほぼ同時期というしかないだろう。

じつは、えべっさんは耳つ◯ぼではなかったりする。

「えべっさんの耳、つ○ぼ」というはやしことばが、関西には昔からあって、
十日えびすの日のえびす神社の参詣者には神前でお賽銭をして拝んだあと、
拝殿の横や裏手の壁板を叩いて、耳の遠いえびす様にと、お祈りの念押しされる習わしに従うひとが多い。

今宮戎神社では、いつ頃からか、木の板壁が激しく傷むので、銅板のようなものを貼って、むしろ音もよい感じになるような仕掛けに変えてある。

京都えびす神社も拝殿にも、「左へおまわりください」と板のある横の路地へ誘導する但し書きがある。

そもそも、えびす様としてまつられる神様には耳が遠いという神話そのものがない。
いわれとして、一番しっくりくるのが京都えびす神社のもので、
江戸時代、その当時も現在の建物と変わらないのだが、現在「叩き板」のある拝殿の横は、格子の壁になっていて、そのさんの隙間からお賽銭を押し込んで叩く参詣者が多くなり、
それでは壊れてしまうので、板張りをしたところ、みんな板を叩くようになったのがはじまりで、
他の地域のえびす神社でも拝殿の壁板を叩く習わしが伝播したということである。

神社側から、えびす様は耳が遠いなどとは一言も言ったことがないそうで、町衆の誰かが理由をこじつけて広まったことのようである。

神社としてはやめてくれとはいえないので、むしろ叩いてもらえるように仕向けられたというわけである。

 

じつは、えべっさんはふたりおられるという話。

十日えびすには、大阪ではキタに仕事場や住まいのあるひとは堀川戎、ミナミのひとは今宮戎に行く人が多いけれど、

じつは「えべっさん」と称されながら、
堀川と今宮はそれぞれ別の神様をおまつりしている。

堀川のえべっさんは西宮とおなじ、ヒルコ神。
日本の国土をおつくりになったとされるイザナギ・イザナミご夫婦の第一子で、海に流された神様。

今宮のえべっさんは京都とおなじで、事代主命(ことしろぬしのみこと)。
出雲と大和のあいだで、この世とあの世のまつりごとの役割をわかちあった「国譲り」に関わった、釣り好きの神様。

どちらも豊漁や海上交通の守り神。
西宮も今宮も大昔は浜だったし、堀川は近くに天満の市があったのと、舟運で貨物移動していたことでおまつりされたのだろう。
どっちがどうだから良い悪いはなくて、各地のえびす神社ではヒルコ神を事代主に、事代主をヒルコ神に置き換えてしまったところすらある。

七福神のなかでただひとり、日本神話に出てくる、純粋に日本の神様とされてはいるが、蝦夷(えぞ)や東夷(あずまえびす)、夷狄(いてき)のように、大和朝廷に害なす異民族を「夷(えびす)」と呼んできたことから、
どうも、もともとは日本の神様というのは信じがたい。

えべっさんの小宝(笹飾り)は真っ先に吉兆を。

十日えびすでは、拝殿で祈念したあと、参詣者は笹に小宝という、
米俵や小判や鯛などを模した縁起物を笹につけた福笹を求めて帰る。

なぜ笹を賜るのかについては、それぞれのえびす神社で、
松竹梅の竹だからとか、釣り竿になる材料だからとか、いろいろ由緒を語っておられるが、
他の神社やお寺のお祭りに授かるもののいわれに比べるとかなりこじつけな感じが拭えない。

そのなかで、京都のえびす神社でのいわれによると、約400年前の江戸時代に、現在の宮司さんの直系のご先祖にあたられる当時の宮司さんが、
お参りに来る商人さんにお店の商売繁盛がかなったら、御神酒(おささ)をお供えされるよう求められ、そのおしるしに、「お笹」をお返しするという、粋なはからいをされたのがはじまりなのだそうで、場所柄、花街祇園の南のはずれにあることからも、遊び心もあるこの説が一番しっくりくる。

今宮えびすの福笹は、山から切り出してきたそのままの笹のえだを拝殿の両隅で男衆からもらって、拝殿左右の長屋根に並んで座っている、毎年コンテストで選出された福娘に小宝を一つ一つ付けてもらう。
市場で買い物をするような段取りと、福娘につけてもらうことが今宮えびすのお詣りの最大の楽しみだ。

そういえば大学時代、アイドル的存在だった同級生が福娘に選出されて写真を撮るべく全日通ったことがある。

福娘たちは交替や、期間中の行事にも出たりするので、人出が足りない時間はアルバイトの巫女さんや福娘OGが混じっていたりして、それぞれにかわいらしいお嬢さんたちなので通い慣れないかたには誰が福娘か区別が難しいが、
福娘は金烏帽子をかぶっているので、それを目印にお好みの女の子の前の列に並ばれるのがよかろう。

そういうわけで今宮えびすでは小宝は参詣者が自分で選ぶ必要があるが、
小宝には必須のものがひとつあって、それは「吉兆(きっちょう)」というもので、
あらゆる小宝がさらにミニチュアになってまとめたようなものがあり、じつはこれひとつ付けていれば、もう立派に福笹になる。

他の小宝は要するに、吉兆の強化オプションなので、本体の吉兆がついていないのにオプションだけではご利益も完全にならないというか。
どれが吉兆かわからないのであれば、福娘にたずねられるか、金額でおまかせすると、まず間違いなく最初に付けてくれる。