最近は外国人観光客の激増で足の踏み場もないくらいの勢いで、むしろ日本人が敬遠しはじめているとさえ言われる京都だが、それでも京都好きを標榜する日本人は多く、なにかと京都を紹介するTV番組や雑誌は非常に多い。
数日前であるが、京都のもので身の回りを埋め尽くし習慣を踏襲し伝統大好きな関東住まいの方のSNS投稿で、「京都の老舗の接客はやはり優れている」との内容にどうも引っかかって、大人げなく反論コメントをしてしまった。
そもそもあくまでも観光目的でしか京都に来ることのない首都圏や他の地方の人と仕事や買い物などの日常生活のなか、その日のうちに京都を行き来し、その逆で京都から通ってくる人と出会うことも少なくない関西圏の人とあきらかに京都の印象に差がある。
つまり観光意識の人が見ている京都は非日常で、上述のメディアに紹介される脚色もされた麗しい京都でしかないからだ。
京都好きは、そんな京都は何もかも日本の最上級で、醜い落ち度などあろうはずがなく、メディアに紹介される風習こそが日本人が守っていくべき伝統だと信じて疑わない。
歴史ある古い場所も、食事をする場所、最近できたような店にいたるまで、関西や地元京都の人でも知らないような場所や知識すらもっていたりする。
日本にある少し古くからあるようなものや習慣は全部京都発祥だと思ってさえいて、これに関しては地元の京都人にさえ少なからずおられる。
日常生活に行き来も人との交流もある京都に関西の人たちは悪口を言わないまでもずいぶん得な扱われ方だという感覚はあるが、 京都は地続きな場所で、京都人は隣人以上の何者でもない。
良いところも悪いところもある。
僕はメディアには対象的と揶揄されるがわの大阪の大阪人だけれど、その大阪の笑いモノや嫌われモノの印象も京都同様に首都圏メディアが作り上げたもので、自虐もネタにして笑える大阪の人の特異な寛大さがそれを許しているだけである。
(井上章一さんの著書にもあるが、ノーパン喫茶や、そもそもスケベな色事に関する文化は京都のほうが発祥だったりかつては先を行っていたものなので付け加えておく。)
観光意識の京都好きの人には、京都の人たちの全国でどこにでも見られるような普通の人付き合いや生活に関心が及ぶことはまずありえないし、その夢を壊すような反論をしても意味がないのかもしれない。
半世紀大阪で生まれ育って来た僕は、夜はいまの奈良とそう変わらない真っ暗だった京都の市街をなんとなく憶えているし、申し訳ないが僕の実家は商売をしていたこともあるけれど、 当時の京都のお店では正直行き届かないと感じる接客やサービスは一度ならず、それも老舗新参にかかわらず、度々家族で受けるところは少なからずあった。
名の通った料理屋さんはどうだったか知らないが、今は一般客もそれなりのお金を支払えば食事ができるが、昔はそんな場所は一般客の行くような店でもなかった。
昔ながらに一見客より地元の付き合いの長い客を大切にする風土があったからで、おそらくそれは京都に限らずあったろうに思う。
でも京都には他所を知らないこともあるがうちの家族は悪いイメージを残してきた。
関西以外の人たちがいだく麗しき京都のイメージは、昭和40-50年代から、JRの前身の国鉄にはじまった広告や、女性ファッション誌がこぞって京都を特集するようになってからだ。
「京都慕情」や「女ひとり」のような歌謡曲の流行も後押しした。
最近は京都でどこのお店に行っても、大阪や他の地域で感じる印象とまったく変わらなくなった。
観光客、とくに女性の観光客が増えたことや、他府県に本店のあるお店や全国チェーン店の進出で、必然接客やサービスも全国レベルに向上していったのだろう。
「京都の老舗の接客はやはり優れている」と言われるまでになったと、亡くなった両親兄弟に伝えておきたいものだ。
鼻で笑う気もするけれど。
そもそも日本の「伝統」と冠がつくもののたいていは戦後、古くさかのぼっても明治以降のものでしかない。
いまでは当たり前なお正月の初詣も鉄道会社が主導した集客な催しであるし、そもそも神社もお寺も明治までは神仏習合な状態であったのでそれぞれでの振る舞いやしきたりがいまのかたちに整備されたのは神仏分離以降である。
歴代の天皇も法名を得られて仏式で葬られた方は少なくないし、現在の神式で執り行われる数々の皇室の行事も古代にはあったのかもしれないがいまのかたちになったのはやはり明治の頃で、新政府が天皇の権威付けに勤しんだ結果である。
「和食」は京都こそが発祥で昔は皇室や貴族が食べ親しんできたものやその習慣が京都の和食になっているとすら思っている人は少なくないと思うが、そもそも内陸で魚もとれない京都と、北前船で北海道から昆布が入ってきたり、海路が使えて鮮度の高い食材が集まる、豊臣時代からの商都大阪で料理の技術はどちらが長く上回っていたかは言うまでもないだろう。
かつては板前を大阪から迎えた京都の料理屋さんは腕は確かと評判になり、当の板場の地元の料理人たちは戦々恐々としていたのである。
私たちは日常、食卓に上がるハンバーグやトンカツを「洋食」とは言わない。
「洋食」という言葉には明治の文明開化であるとか、レトロなイメージすらおぼえる特別な響きを感じる。
これに対して私たちは日本人なのに「和食」という言葉は普通に使う。
つまりは私たちの生活において今や洋食の食事がスタンダードで、そもそも日本人が毎日普通に食べてきた献立をむしろ「和食」と呼ぶようになった。
かつては和食が普通だったから、欧米風の献立を「洋食」という言葉ができたのである。
日本の「伝統」という言葉は、戦後、そういう日本人の生活の欧米化に対して意識して使われるようになったものであることは疑いない。
京都を華やかに彩る芸妓舞妓も、正直なところ「伝統」という傘を外してしまうと、夜の水商売という位置づけではバーやキャバレーのホステスに完全に後塵を拝するようになり、「伝統」を標榜して、彼女たちと真っ向勝負はしないことにしたのである。
日本の「伝統」を守っていくことが日本らしさや、日本人のアイデンティティを失わないためにも必要であることは理解するが、「伝統」を冠にしないと、便利で親しみやすい欧米の仕組みに上書きされて、生き残れないものはごまんとある。
しかし、そういうのちに「伝統」を冠するような古刹と芸能や技術は、遷都で賑わいを失う京都の活力として、大阪にも対抗心をもって、明治の京都で、大河ドラマ「八重の桜」でも登場した槇村参事や山本覚馬らがとりかかり、以来行政主導で整理をして保護継承に努めたから今がある。
芸舞妓がいるような花街も京都がオリジナルではなく、全国各地にあったし、いまもそれぞれの地でみんな頑張っておられるが、特に京都は地元のイメージになるほどに力を入れて保護してきたのである。
それは大したものである。
隣県の奈良がなにか京都がやっていることのマネをしても京都のようにはいかないのは根本の次元が違いすぎるからだ。
他人様がどう考えるかは自由であるが、でもそれぞれの地元にも誇れるものはあるし、京都のものに見劣りするものでもないので目を向けてほしい。
それを守っていけるのは地元の人たちしかいない。
なんでもかんでも伝統だからと縛られたり、珍重することにも少しは疑いをもったほうがいい。
そういうことに固執することが、迷いや不安がなくて快適に感じる人が多いこともわかってはいるが。