祇園祭のちまきや茅の輪くぐりの由来については
スサノオノミコトが一宿一飯の恩義で蘇民将来に子孫をまもってやるから目印にチマキ(茅の輪)を飾るようにと約束された
という話が備後国風土記にあり、
これが祇園祭のちまきや夏越の祓の茅の輪くぐりのいわれになっているが、
じつは風土記の話をちゃんと文を追って読めば、
スサノオノミコトが蘇民の家で一宿一飯の恩を得て、その帰路に宿泊の願いを無碍に断った蘇民の兄、巨旦への苛立ちで、彼の一族を八つ裂きにして攻め滅ぼすことを思い立ち、巨旦の嫁が蘇民の娘であったことから事前に娘には茅で作ったベルトのようなものを腰にまかせておくように伝え、スサノオ軍が攻めこんだときに娘はその目印で一人無傷で保護されたという話なのだそうである。
“蘇民将来子孫也”のちまきを玄関先につけている家庭に加護があるのでなくて、つけているところ以外は善も悪も見境なく皆殺しにするから、結果その家は守られるという解釈が正しい。
祭りに浮かれてないで、スサノオノミコトに畏怖の念をもって、ちまきを飾りましょうね。
あーこわ~
(2023/1/29 改訂)
(参考)「蘇民将来と素戔鳴神」