祇園祭のちまきや茅の輪くぐりの由来については
スサノオノミコトが一宿一飯の恩義で蘇民将来に子孫をまもってやるから目印にチマキ(茅の輪)を飾るようにと約束された
という話が備後国風土記にあり、
これが祇園祭のちまきや夏越の祓の茅の輪くぐりのいわれになっているが、
じつは風土記の話をちゃんと文を追って読めば、
スサノオノミコトが蘇民将来の嫁と娘に茅(かや)のベルトを巻かせておくよう言い残して、蘇民、巨旦もろとも将来一族を皆殺しになされたということなのだそうだ。
嫁と娘は子を為して子孫を残してもかまわないと免じられた。
“蘇民将来子孫也”のちまきを玄関先につけている家庭に加護があるのでなくて、つけているところ以外は善も悪も見境なく皆殺しにするから、結果その家は守られるという解釈が正しい。
祭りに浮かれてないで、スサノオノミコトに畏怖の念をもって、ちまきを飾りましょうね。
あーこわ~
(参考)「蘇民将来と素戔鳴神」