今年前半のNHK朝ドラ「エール」のモデルが古関裕而さんであるが発表された時点でかなりの阪神タイガースファンの方々がおぉと反応したのではないか。
作詞 佐藤惣之助、作曲 古関裕而。
六甲おろし、正式には「阪神タイガースの歌」。
阪神が勝てば、いや何かうれしいことや祝い事があれば、自分を鼓舞したいことがあれば、かつては中村鋭一のレコードを、立川清登のカセットを、唐渡吉則のCDを引っぱり出して、現在はYouTubeで探して大音量で掛けた経験のある人は関西方面には少なからずいるだろう。
「大阪タイガースの歌」は昭和11年3月に甲子園ホテル(現在、武庫川女子大学甲子園会館として残る)で行われた、チーム激励会の中で初披露された。
選手たちは1-2月に甲子園で初練習を行い、加古川市の浜の宮公園で初めてのキャンプを行っているが、吹き荒ぶ”六甲颪”の寒風に負けじと練習に取組む当時の様子が歌詞から想像される。
古関さんが作曲したのは「”大阪”タイガースの歌」である。
阪神タイガースは昭和10年に株式会社大阪野球倶楽部」として阪神電車の出資で誕生し、通称は「大阪タイガース」であった。
米国のMLBのチームが親会社やスポンサーの名前ではなく地域や都市名を冠にして、地元に溶け込もうとした理想に当初のプロ野球は基づいていた。
Jリーグは初代チェアマンの川淵三郎さんの奮闘で、とくに讀賣の渡邉恒雄会長と激論の末にこの理想を今も貫いている。
この理想を砕いたのは太平洋戦争で、
東京ジャイアンツ(大東京野球倶楽部)も大阪タイガースも出資会社が親になって配下に吸収して経営することになったせいである。
そして戦時の敵性語禁止令で当時は「タイガース」や「タ軍」と呼ばれていたのを「阪神」に変えて、ユニホームの胸につけたことが、他の電鉄系球団との区別や対比でむしろ定着し、昭和36年に会社及び球団名を「阪神タイガース」に改称する。
これに併せて「大阪タイガースの歌」は「阪神タイガースの歌」に改称され、歌詞にも変更が加えられた。
サビが、オゥオゥオゥオゥなのは、大阪につなげるためのリフレインで、現在は阪神に置き換わったから、歌うときに一旦息継ぎが必要な不自然な歌になっている。
「阪神タイガースの歌」の通称「六甲おろし」を定着させたのは元ABC朝日放送アナウンサー 故 中村鋭一さん、ファンには鋭ちゃんと広く知られる方である。
関西の中高年以上の方には”えーちゃん”と言われて矢沢永吉より中村鋭一を思い浮かべる人は少なくない。
それほど高視聴率を誇った昭和40年代ラジオ番組「おはようパーソナリティー中村鋭一です」の番組中に、当時はプロ野球ファンには関心の無かった球団歌である「阪神タイガースの歌」を発掘して、阪神勝利の翌朝に「声高らかに六甲颪だー」と叫んで歌い出すさまが関西地区の朝の風物詩にすらなってしまったことに由来する。
結果、そもそも社歌のようなものであった球団歌がプロ野球の観戦に欠かせなくなった始まりである。
僕は音楽の良し悪しは全然わからないが中村鋭一さんの”六甲颪”は子どもの頃、家で朝に聴かされていたこともあって耳慣れしていることは多分にあると思うが、他の歌手とは違い、歌手でもない中村さんがアナウンサーとして鍛えられた声とはいえ素人のタイガース愛だけで歌いあげる歌に、みんなも併せて歌い易さを感じるし、朝のすがすがしさや、よし頑張るぞ、という気合い入れには向いている感じがして、近年はタイガースの応援どころか野球すら観ていないが、自分を鼓舞したいときには中村さんの曲の抑揚で口ずさむことがある。
中高年以上のタイガースファンの方々には圧倒的にこの曲が六甲おろしだろう。
球団が公式に球団歌としたのは、立川清登さんの「阪神タイガースの歌」である。
この曲は平成の始め頃まで甲子園球場でゲーム前のチーム練習でタイガースの番になったときに奏でられ、スタンドのタイガースファンにいよいよであると高揚させていた。
1985年頃から試合勝利後に球場でファンが合唱することが定着していくが当初はこの曲にみんなが併せていた。
立川さんのものを「正調」などと言うタイガースファンも多いし、これを聴くとやっぱりかつての甲子園球場の様子が思い浮かんでくる。
日本一になる勢いで、カセットに、のちにシングルCDになったが、その後立川さんサイドとの権利関係の問題とやらで、六甲おろしは歌唱無しのものなど球団としては公式に特定の歌手が歌うものを選定していない。
若いタイガースファンの方々にはこれらのどれでもない、唐渡吉則さんの歌こそが六甲おろしという印象をもたれている方も多いだろう。
あえて紹介しないのは、僕の信条というか、思い入れがないからだ。
近年の人気歌手たちの輪唱もしかり。
僕はかつては虎ブロガーだった頃もあるが先にも書いたが今はタイガースを応援するどころか野球すらほとんど観ていない。
甲子園球場も子どもや女性の方々への配慮が行き届いた結果、スタンドからヤジのひとつも出ず、湧き上がる”🎵がんばれがんばれ○○〜”というコールがこそばゆく不快で、勝負の場の臨場感というか、殺伐感が無くなって魅力を感じなくなってしまった。
1980年代頃からブンチャカ応援マーチが轟くようになって、すでに難しくはなっていたが、さらにそのように人畜無害化してしまった場所に村山vs長嶋や江夏vs王のような息をのむ一騎討ちを、それを固唾をのんでスタンドで見まもるという野球の大きな魅力がもう二度と期待できないと悟ったからである。
演ずるほうはもちろん見るほうにも多少の血の気は必要だからだ。
いまでも六甲おろしは歌うし、タイガース以外を応援する気はないし、「闘魂こめて」を聴くと無性にイライラして拳を固めてしまう僕は「昔のタイガースファン」ではあるけれど、現在のタイガースファンではない。
そういう事情で唐渡さん以降は書かないので、聴いてみたい気になったら、申し訳ないがご自身でググッてYouTubeやら、CDやらでお願いする。