カミサマと向き合う

コロナ禍自粛で仁-JIN- が再放送されていて、このドラマ自体は面白くて本放送でも欠かさず見ていたのだが、このドラマのキーワードである「神様は乗り越えられる試練しか与えない」が頻繁に登場し、登場人物の行動を左右していることに強く違和感を覚える。

というのは、このワードは新約聖書の「コリント人への手紙」にある一文で、幕末には外国人の出入りや滞在があったのでその影響をまったく否定はしないが、それでもまだ鎖国の日本の日本人になるほどそうだと受け入れられるとは考え難い。
日本の神社のカミサマはそういう存在ではないからだ。
古代や平安時代の頃のように畏怖を感じて祀られることはもうなくて、現在のように願掛けをしにお詣りさせていただくようになっていたとは思うが、人を試すための試練など与える存在という認識はさすがにないだろう。

このコロナ禍で京都の八坂神社などでは境内に夏に見る「茅の輪くぐり」の茅の輪が設けられたりしている。
八坂神社は昔から疫病退散を祈願する神社で祇園祭もその意味合いから行われている。
主祭神はスサノオノミコト。
“荒ぶる神様”で私たち人の目線では決して善行ばかりをなさった方ではない。
茅の輪や粽にまつわる話は過去に書いたとおり。
そもそもは暴走され、世の中に災いを起こされないようにおいさめするべく祀られ、氏子たちはご機嫌をとるために祇園祭を行なっているという、畏怖によって祀られたカミサマである。
だから、コロナから私たちをお救いください、というよりは、コロナを撒き散らすようなそのお怒りをお収めください、とお願いするのが正しいように思う。

さて、みなさんは家の近くの氏神や初詣に行く神社に祀られているカミサマが誰でどんなカミサマかご存知だろうか。
お寺のご本尊もしかりであるが。

自分のことを誰かにお願いにあがるときに名前も、素性も、その専門も知らないでお願いができますか?
古事記を読みなさいとまでは言わないまでも、参詣前にちょっとググってみよう。
親しみも湧くだろうし何をお願いすべきか確認ができる。
氏神さまの名前も素性も知らないなんて近所付き合いとしては失礼があるんじゃないか。

逆に、あなたも願い事の前に住所と名前の自己紹介くらいは先に伝えること。
相手も見知らぬ者にお願いされても聞き入れにくい。

そう考えていくと本当のところ小銭でいっぱいお願いしても向こう様も挨拶程度にしか応えてくれないのもまたしかりというわけだが…