ひとり囃子 – “祇園祭”より –
作詞:喜多條忠 作曲:平尾昌晃四条通りの日盛りを長刀鉾が通ります
去年の夏に見た時はあなたと私は揃いの浴衣
はぐれちゃ嫌よと手をつなぎ
冷たいラムネを飲みました
あれからあなたは帰ってこない
今から思えばわがままで
強がりばかりの私でした
ごめんなさいねといいながら
祇園囃子と人波に押されて思わず泣きました鉾の上から十字路に青い粽が散りました
去年の夏のお祭りはそれでももっと賑やかでした
八坂神社の石段さえあなたと歩けば多かった
あれからあなたは帰ってこない
今から思えばあの時に
生意気言ってた私の頬を
音立て殴って欲しかった
私ばかりか京都まで捨ててどこかへ行った人
昭和の古い歌謡曲で申し訳ないのだけれど、祇園祭の頃になると、子どもの頃に聴いたこの歌が必ず僕のアタマの中で流れる印象深い曲なのだ。
ここ10年余り、会員としてささやかながら大船鉾の支援もさせてもらうようになって、祇園祭についてもそれなりに詳しくなって、この歌の歌詞をあらためて読み直してみて思ったことを書いてみる。
一聴して、女性を捨てた男性が身勝手で悪いやつだなと思うかもしれない。
歌う女性の気持ちになれば自然なことだ。僕もずっとそう思っていた。
でも、祇園祭について知識がつくと、この歌詞の情景に疑問が湧く。
なんで、恋人とのデートに山鉾巡行なんか選んだのだろう?
山鉾巡行は昼間に行われ、四条通沿いに見物客が鈴なりになって山や鉾が進むのをじっと眺めている。
そんなところに揃いの浴衣で来ている二人。
祇園祭でデートするなら普通、常識的に考えて、夜の宵山じゃないのか?
二人のペースで山や鉾、屋台を彷徨いながら、二人の会話や時間を楽しむ。
揃いの浴衣だって、道行く人に自分たちが仲の良い恋人同士だってことを見せびらかすようにあるようなものだ。
山鉾巡行でひとところに立ち尽くして、みんな四条通のほうを見ていて、揃いの浴衣で汗だくになって何の意味があるのだろう。
だから、こう考察する。
男性は夜の宵山で、女性に求婚するつもりだった。
揃いの浴衣もそのつもりの準備だった。
男性は京都の人ではなかったのかも知れない。
「祇園祭に行こう」と誘ったら、普通は夜の宵山のデートに決まっている。
でも、女性は「山鉾巡行に行こう」と言い出した。
京都人の彼女は、男性に勇壮な山鉾巡行を見てもらおうと思った。
そのほうが男性は見てよかったと喜んでくれるだろうと思って気をきかせたつもりだった。
彼女は彼女なりに男性と山鉾巡行を見る時間を共有することが、今後の二人にとって大切な思い出になると思っていたかも知れない。
しかし、男性にしてみれば、巡行の喧騒のなか、ひとところにいて、他の人もその場にいて、求婚などできようはずがない。
この女性とは無理なんだと、失望した。
最後の日になる山鉾巡行に、せめてもの気持ちで、揃いの浴衣を着た。
それを最後に、女性の居る京都には足を運べなくなってしまった。
でも、そういう男性の機微に、女性は気づけていない。
とまあ、こういうふうに解釈した。
ひとり、深い歌だなあと悦に入っている。