大船鉾の龍頭と大丸とのご縁
祇園祭・後祭の「大船鉾」は年替わりで船首の装飾が「大金幣」と「龍頭」と交互する。
これは鉾を保有する四条町が昔、北町と南町に分かれていて、年交代で鉾の船首を替えそれぞれが曳行していた歴史に由来する。
江戸・幕末の蛤御門の変の火災で大船鉾とともに焼失した「龍頭」は、東福寺駅から近い瀧尾神社の昇殿の天井にある龍の彫刻と同じ彫刻家 九山新太郎の手によるものだったらしく、創業の初代 下村彦右衛門以来、瀧尾神社に信仰があつかった大丸が仲介をされたようで、大丸は大船鉾の「寄り町(他所の町からの支援者)」だったそうである。
平成の龍頭はこれにならって瀧尾神社の龍を模して新調され、近年は祇園祭の期間に大丸京都店のショーウィンドウには大船鉾の龍頭や瀧尾神社の龍の頭部分が飾られるのが恒例になっている。


2014年の本体復興以来、大船鉾は年ごとに懸装品の復元、新調、塗り、部品などを段階的に追加し、華やかなもとの姿に近づいていく、毎年飽きの来ない楽しみがある。
瀧尾神社の昇殿の天井に舞う「木彫り龍」も全長8mの圧巻の彫刻で、東福寺方面に行かれる機会があれば足を伸ばして見るだけの一見の価値あり。祇園祭期間は頭が大丸に貸し出されているので、その時期を避けて全身揃っている姿を是非見てほしい。
大船鉾は船鉾よりほんとに大きいのか
宵山の停泊中に大船鉾はもちろん、前祭の船鉾にも搭乗したことはあるけれど、”大”船鉾は船鉾より大きいのかは、同時に鉾建てされることはないし、体感ではよくわからない。
ただ船鉾の船首の「鷁(げき)」の彫刻に対して、大船鉾の龍頭や大金幣のサイズや重量を想像するとバランスをとるには大きくならざるを得ないような気がする。
調べてみたら、大船鉾の復元設計にたずさわられた方の話によると
大船鉾の軸組製作でも、船鉾の構造を踏襲することがワーキンググループで確認された。
船体の寸法決定では、四条町内に大切に守られてきた懸装品を上記の構造に当てはめた。
鉾の改修設計と同様、構造を化粧に合せる逆向きの作業を伴う。・・・・・・
全長は長くとも大船鉾の前懸後懸の幅は船鉾より狭い。
この点を根拠に、構造に無理のない範囲で細長のプロポーションを目指した。
やはり大船鉾は、船鉾より全長が長くて、そして船鉾よりスリムなのだそうだ。
大船鉾は復興時から菊水鉾から譲り受けて使っていた「たま(車輪のこと)」を新調し、現在は7尺(2.13m)の全山鉾で最大サイズになったので車高(船なので全高というべきか)も上がっている。