カンテキ割った、すり鉢割った

私が子どもの頃の昭和40-60年代 (1960-80年代)には、8月24、25日の夜には自宅に面した路地で地蔵盆の盆踊りが行われていた。

そのときにスピーカーから何度も流れていた曲は、大阪ことばの、面白おかしい、”けったいな”歌詞の盆踊り唄だった。

「カンテキ割った、すり鉢割った エノ 叱られた」

その唄がふと思い出されて、いったい何という曲目だったのかと調べてみたら、「堀江盆唄」に関する記事や動画に行きあたった。
だが、動画の音楽を聴いてみると、私が記憶している盆踊り唄らしい曲調の唄とはあきらかに違い、さらに深堀りして探していくと、ようやく私の思い出の曲は「地蔵盆唄」という名前があることを知った。

「堀江盆唄」とは何なのか。なぜ「地蔵盆唄」と同じ歌詞をもっているのか。

昭和6年に堀江遊郭では阿弥陀池・和光寺で盆踊大会が催されることになり、そのために作られたのが「堀江盆唄」なのだそうだ。
和光寺では舞台が組まれ、堀江遊郭の芸妓らが舞ったらしい。
私たちがイメージしている町内会の盆踊りとは少し様子が違うようだ。

NHKアーカイブスにある「堀江盆唄」の動画は、昭和6年のその時かは不明だが、何回目かのその様子の記録映画のようで、なんかチャップリンみたいな挙動不審な人物が出てきたり、作り物のわざとらしい印象もあるが、いずれにしても遊郭の選ばれし旦那客がビアガーデンのような感じで和光寺の境内で芸妓らの舞を鑑賞する、そんな機会だったようだ。

カンテキ(七輪)を割る、すり鉢、マッカ(瓜)、ナスビなど、大人になればわかるけれど、遊郭という場所柄な隠語だ。堀江盆唄は盆踊り唄らしい曲調とはあきらかに違い、堀江盆唄は芸妓が美しく舞うための調べになっている。三味線の謡いも聴いていて心地よい。

阿弥陀池・和光寺の盆踊りはNHKラジオが中継して、広くリスナーの耳に届き、堀江盆唄はさながら現代の新曲リリースのように即日から有名になった。

同時期に南地や、新興の花街だった今里新地などでも盆踊りを催されている写真や記録があるので、堀江がきっかけになったのか、どうやら花街では盆踊りブームが起こっていたようだ。

世間は世界恐慌で不況の真っ只中、景気とは無関係に富裕層がお金をおとしやすい場所として地域行政も花街の賑わいに期待し前のめりだったようだ。今里や松島のような新しい花街もこの時期に開設されている。

堀江盆唄は引き合いが多く、他の花街や、町内の地蔵盆でも使えるようなものとしてアレンジされた「地蔵盆唄」が生まれたのではないだろうかと推測する。
「地蔵盆唄」にはにさらにユニークな歌詞が足されて、隠語の意味はわからずとも地蔵盆の主役である子どもたちの笑いを誘う音楽に仕上がっている。

私が中高生の頃には、もっと子どもウケする「ドラえもん音頭」のような曲がスピーカーから流れるようになり「地蔵盆唄」や古典的な盆踊り唄は炭坑節か、河内音頭だけになってしまって、少子化が進んで地蔵盆の世話役をしていた大人たちも老いて引退して、代わりをするひともなく、地蔵盆自体行われなくなってしまった。酷暑の夏になってしまっては外で踊るのももう危険かもしれない。

「カンテキ割った、すり鉢割った」の歌詞の面白みを、後世に残してほしいのだけれど。

でも「鬼滅の刃」の遊郭編にも過剰反応してしまうような保護者らが教育上よろしくない言葉が歌詞が含まれていると苦情して、もうあかんかもな。

梅若梅朝さんが「堀江盆唄」から「地蔵盆唄」を連続で演奏、謡いをされる動画