奈良”県”コミュニティ自論

WordBench奈良のクローズに併せて、運営の任を退かせていただいた。

奈良で勉強会を催してきて、ずっともやもやしたものを抱えたままひと区切りしてしまった。

それは「奈良県」のコミュニティを標榜しながら、結局「奈良」のコミュニティで終始したということだ。

大阪の人にとって梅田界隈をJRの駅名で「大阪」と称するように、奈良県民の「奈良」は「奈良市」ではなく、県外にも世界にも知られる、鹿がいて、大仏さんがおわすそのイメージそのものズバリのあの界隈のことである。
歴史的にも、その場所はずっと「奈良」で、奈良県は「大和の国」であった。

でも、大阪や京都や都道府県を同じ名を冠する街が、奈良の場合、東西南北から県の人たちが仕事や買い物や娯楽を求めて必然集まってくるような、いわゆる「県の中心」ではないということ。
(かつてはそうであったが…)
頭でわかっていたつもりのことにあらためて気づくのが遅くて、気づいても結局、何か具体的なアクションをする以前に運営自体にモチベーションを維持できなくなって、コミュニティ運営から身を引くことにした。

僕の家の家系は、祖父以前は奈良県民で、現在も親族が奈良県の北にも南にもいる。
現在所属する会社は奈良市にあって、近年首脳陣の地元である天理市に移転して、平日は毎日通っているし、十数年前には奈良県の真ん中のほうの広陵町の職場で働いていた。
アクションはしなかったが、「奈良県」のコミュニティはどうあるべきか、大阪人ではあるが、この県との関わりの多い僕なりに思っていることを記しておく。

奈良県は縦に長い。これを南北方向に3つに地域を区切って、北和、中和、南和と称する。

奈良県内はどこの街も村も未だにムラ意識がとても強い。
新しい取り組みを次々と熱心に行なって話題の生駒市でさえ、市民の方には怒られるかもしれないが、新しいなりにムラ意識でまとまっている感じがしている。
そういうところであるうえに、北和、中和、南和にはそれぞれ東西に近鉄奈良線、近鉄大阪線、近鉄南大阪線が走っていて、それぞれがそれらを生活導線にしていて、
隣り合う市や町の人たちは交流があっても、近鉄橿原線を軸とした縦方向の交流は通学の高校生くらいでほとんど繋がっていない。言うなれば近鉄橿原線は京都に通うための脚のようなものだ。

県の外では、お互いに奈良出身か、そうか同士だと語り合い、奈良には鹿がいて大仏さんがいて、みたいな同じ調子で他人に話していても、地元に帰れば中和南和の人は鹿も大仏も縁のない他所の話になる。

あえて奈良県の中心はどこかといえば、大阪になる。
近鉄奈良線、近鉄大阪線、近鉄南大阪線に乗って、奈良県の北のほうの人も南のほうの人もみんな一番集まりやすい場所は大阪なのだ。
県下最大のターミナル駅である大和西大寺がその役を担うべきだけれど、家ひとつ建てるだけでも、掘ったら100%平城京の遺跡が出てくるから奈良文化財研究所がお出ましするような場所で、永遠に下町のまんまだし。

だから奈良県のコミュニティは県全体を包括するようなものをいきなり目指すのではなく、その3地域ごとに、あるいは市町村レベルで小さくまとまることから始めればいい。
ムラの中ではムラの人の交流は都会住まいの僕には羨ましいくらい仲睦まじさがあるので、ムラのこととして受け入れられればそれなりに盛り上がるだろう。
そうしてそれぞれが活動して、そののちお互いに関心があれば交流すればいいし、べつに交流しなくてもいい。

大きな県レベルのコミュニティができなくても、お互いが求めていなければ仕方ないのだ。

だから、奈良県で奈良県民によるWordCampなんかはまだまだかなりハードルが高いかもしれない。
さらにメンドくさいことに、奈良県の人たちは県外の人を寛大に受け入れ、大きな祭りやイベントも自由にさせてくれるが、当の自分たちは場所だけ気前よく貸してるだけで足を運ばないというような態度をとる人が多い。
シルクロード博も、平城遷都千三百年祭もまさにそんな感じで、県民で行った人のほうが珍しいくらいだ。
だから、奈良県民じゃない人が旗を振ってくれても、その開催後の将来、コミュニティが育つとか奈良県民のためになるWordCampになるかはちょっと怪しいんじゃないかと、個人的には思っている。