投稿者「TakaiShigeki」のアーカイブ

ウチの家業はお茶屋(茶葉売るほうの)です

宇治茶が純粋に”京都産茶葉”製になったのはここ10年くらいの話である。
原因は国内最大産地で茶業界人口が多い静岡が”静岡茶”を純粋県内産のブランドにしたいがゆえ、数で業界のルールを押し切って作ったからだ。

これに京都宇治の茶業者は最後まで抵抗していた。
というのは、今でこそ流通している日本茶は、ほぼすべて”やぶきた”という品種で、正直どこの産地のお茶も飲んで差がはっきりわかるようなものではなくなっているのだが、そもそもお茶は合組(ごうぐみ=ブレンド)が当たり前で、とくに宇治のお茶屋さんはさまざまな産地の茶葉を合組し、それによって独自の味わいを目指していたし、また産地域に関しても、宇治茶の茶畑は奈良の”大和茶”とおなじ山の南北ウラオモテで、ぶっちゃけおんなじだった。

奈良の”月ヶ瀬”という地名は宇治茶を指す異名で、現にそういう名前の甘味処が京都にもある。

前置きが長くなったが、僕は親父の代まで茶葉を扱うお茶屋さんで、先祖は月ヶ瀬あたりの畑で摘んだ葉を奈良まで大八車で運んできて製茶して商いをしていた。

そしてその製茶の多くを宇治方面におさめていたのである。
それがあるとき、宇治のお茶屋に品質が悪いなどと言いがかりされて、法外に安値で買い叩かれ、うちの家業は大きく傾いて、小さな商いしかできなくなったと、こどもの頃、高齢な親戚から聞かされた。
なんか、よく耳にする宇治茶の有名店のような名前だったような気がするがはっきり憶えていない。

なんにせよ、うちがおさめたお茶の品質がホントのところどうだったかわからないし、その頃の先祖の店主が元林院やら祇園町で芸妓と遊び呆けていたみたいな、なんか子孫の誰かに似てるような感じだったので、まあ、その名前もよく憶えていないどこかのお店を恨むとかはまったくないのだけれど…

「和同弁知」2016年度第1回、shinchaya的ふりかえり。

2016/1/16
boki cafe
14:00~15:55
参加者 5名

大和西大寺駅は奈良県で最大のターミナルで、何を隠そう僕の会社も当地にあり、少しでも地面を掘り返せば遺跡がでてきてしまうような場所で都会化の大きな障害になってはいるが、そうはいっても県内各地、大阪、京都へもこの場所は好アクセスなのは魅力だ。

最近常打ちの会場にさせていただいているWFCさんが精力的に自社主催の講座イベントをスケジュールされておられるので、開催がファジーなこちらの日程と折り合いがつかなくなることもあるので、
長らく待望していた場所にコミュニティスペースが新たにできたことはその点でも、とても喜ばしい。

ただ今回参加エントリーをかけてなんとなく感じるのだが、いつも10~15人ほどのエントリーがあるからそれより小さい器の会場であれば、むしろ定員オーバーするものと安直に考えたいところだが、どうやら実際は器のサイズに比例して、それはそれで満席にならないものなのかも知れない。
boki cafeさんは8人定員のこじんまりした器なのであるが、いつもの場所でないせいも少なからずあるかと思うが、結局エントリーは5名から伸びず、開催史上最低の参加人数を更新してしまった。

でも少人数で前で話をするほうも個々の反応に目が届き、人数が多いと小グループで話し込んでしまう雰囲気もなく、皆一様にセッション内容の理解が深まって満足度が高かったようだった。
個人的にもじつはこのくらいの規模の勉強会を好ましく思っている。

日程の都合だけでなく、お題により、見込まれる参加人数で上手に会場を使い分けていくのがよいかもしれない。
奈良は翻訳やコントリビュートの色彩が強いセッションには関心が高くないので、見送る傾向にあるが、少ないながらも手がけてみたいという声があれば、boki cafeさんを使うなどの選択もできそうな気がする。

boki cafeさんはすべてのデスクの脚に車がついていて、レイアウトの変更もすぐにできるのも使いやすく、セッティングも簡単で時間がかからないのも魅力だ。
人数的には座り位置等に多少無理が出るが、最大12人くらいの収容はできそう。

じつは、えべっさんは耳つ◯ぼではなかったりする。

「えべっさんの耳、つ○ぼ」というはやしことばが、関西には昔からあって、
十日えびすの日のえびす神社の参詣者には神前でお賽銭をして拝んだあと、
拝殿の横や裏手の壁板を叩いて、耳の遠いえびす様にと、お祈りの念押しされる習わしに従うひとが多い。

今宮戎神社では、いつ頃からか、木の板壁が激しく傷むので、銅板のようなものを貼って、むしろ音もよい感じになるような仕掛けに変えてある。

京都えびす神社も拝殿にも、「左へおまわりください」と板のある横の路地へ誘導する但し書きがある。

そもそも、えびす様としてまつられる神様には耳が遠いという神話そのものがない。
いわれとして、一番しっくりくるのが京都えびす神社のもので、
江戸時代、その当時も現在の建物と変わらないのだが、現在「叩き板」のある拝殿の横は、格子の壁になっていて、そのさんの隙間からお賽銭を押し込んで叩く参詣者が多くなり、
それでは壊れてしまうので、板張りをしたところ、みんな板を叩くようになったのがはじまりで、
他の地域のえびす神社でも拝殿の壁板を叩く習わしが伝播したということである。

神社側から、えびす様は耳が遠いなどとは一言も言ったことがないそうで、町衆の誰かが理由をこじつけて広まったことのようである。

神社としてはやめてくれとはいえないので、むしろ叩いてもらえるように仕向けられたというわけである。

 

じつは、えべっさんはふたりおられるという話。

十日えびすには、大阪ではキタに仕事場や住まいのあるひとは堀川戎、ミナミのひとは今宮戎に行く人が多いけれど、

じつは「えべっさん」と称されながら、
堀川と今宮はそれぞれ別の神様をおまつりしている。

堀川のえべっさんは西宮とおなじ、ヒルコ神。
日本の国土をおつくりになったとされるイザナギ・イザナミご夫婦の第一子で、海に流された神様。

今宮のえべっさんは京都とおなじで、事代主命(ことしろぬしのみこと)。
出雲と大和のあいだで、この世とあの世のまつりごとの役割をわかちあった「国譲り」に関わった、釣り好きの神様。

どちらも豊漁や海上交通の守り神。
西宮も今宮も大昔は浜だったし、堀川は近くに天満の市があったのと、舟運で貨物移動していたことでおまつりされたのだろう。
どっちがどうだから良い悪いはなくて、各地のえびす神社ではヒルコ神を事代主に、事代主をヒルコ神に置き換えてしまったところすらある。

七福神のなかでただひとり、日本神話に出てくる、純粋に日本の神様とされてはいるが、蝦夷(えぞ)や東夷(あずまえびす)、夷狄(いてき)のように、大和朝廷に害なす異民族を「夷(えびす)」と呼んできたことから、
どうも、もともとは日本の神様というのは信じがたい。

えべっさんの小宝(笹飾り)は真っ先に吉兆を。

十日えびすでは、拝殿で祈念したあと、参詣者は笹に小宝という、
米俵や小判や鯛などを模した縁起物を笹につけた福笹を求めて帰る。

なぜ笹を賜るのかについては、それぞれのえびす神社で、
松竹梅の竹だからとか、釣り竿になる材料だからとか、いろいろ由緒を語っておられるが、
他の神社やお寺のお祭りに授かるもののいわれに比べるとかなりこじつけな感じが拭えない。

そのなかで、京都のえびす神社でのいわれによると、約400年前の江戸時代に、現在の宮司さんの直系のご先祖にあたられる当時の宮司さんが、
お参りに来る商人さんにお店の商売繁盛がかなったら、御神酒(おささ)をお供えされるよう求められ、そのおしるしに、「お笹」をお返しするという、粋なはからいをされたのがはじまりなのだそうで、場所柄、花街祇園の南のはずれにあることからも、遊び心もあるこの説が一番しっくりくる。

今宮えびすの福笹は、山から切り出してきたそのままの笹のえだを拝殿の両隅で男衆からもらって、拝殿左右の長屋根に並んで座っている、毎年コンテストで選出された福娘に小宝を一つ一つ付けてもらう。
市場で買い物をするような段取りと、福娘につけてもらうことが今宮えびすのお詣りの最大の楽しみだ。

そういえば大学時代、アイドル的存在だった同級生が福娘に選出されて写真を撮るべく全日通ったことがある。

福娘たちは交替や、期間中の行事にも出たりするので、人出が足りない時間はアルバイトの巫女さんや福娘OGが混じっていたりして、それぞれにかわいらしいお嬢さんたちなので通い慣れないかたには誰が福娘か区別が難しいが、
福娘は金烏帽子をかぶっているので、それを目印にお好みの女の子の前の列に並ばれるのがよかろう。

そういうわけで今宮えびすでは小宝は参詣者が自分で選ぶ必要があるが、
小宝には必須のものがひとつあって、それは「吉兆(きっちょう)」というもので、
あらゆる小宝がさらにミニチュアになってまとめたようなものがあり、じつはこれひとつ付けていれば、もう立派に福笹になる。

他の小宝は要するに、吉兆の強化オプションなので、本体の吉兆がついていないのにオプションだけではご利益も完全にならないというか。
どれが吉兆かわからないのであれば、福娘にたずねられるか、金額でおまかせすると、まず間違いなく最初に付けてくれる。

LINEスタンプ「まいこらいふ」販売開始。

このたび、拙作LINEスタンプ「まいこらいふ」の販売を開始させていただきました。
https://store.line.me/stickershop/product/1216403/ja

なんと、申請から5日「審査待ち」状態で、いきなり「承認」のメールが届きました。
その道のお友達のスタンプには比べますと、なんとも愚作でお恥ずかしい限りです。

今夏の#sticky50を渡りに船にしてアイデアを蓄え、これをもとにしましたが、
半分ほど描き上げたところで描き慣れて画風が変わって、バランスが悪くなった前半を描き直し、
スタンプを送ったときの見映えから、キャラクターの顔・身体の向きを見直してほぼ一から描き直し、そんなこんなで2ヶ月半。
#sticky50では芸妓さんの絵もありましたが、新たに追加して今回はすべて舞妓さんの絵にいたしました。

そんな感じで下絵は#sticky50を含めて100枚になりました。

キャラクターの顔・身体の向きの見直しは、舞妓さんは頭の左側に華やかな大簪(かんざし)を差すのですが、そちらが陰になり、参考にする写真も大簪のほうから撮られた写真が多く、大いに困り、苦戦しました。

しかしながら、InstagramやTwitterにアップした#sticky50には圧倒的に海外の方から”いいね”をいただいていて、僭越ながら日本人として、その観点からも、日本の花街文化を正しく発信する責任みたいなものも意識して、とくに簪についてはなるべく忠実に描くように努めました。

でも、LINEは欧米ではあまり使っているひとがいないんですよね。ちょっと残念です。

・・・え?誰かに似ていますかね?(笑)

「和同弁知」2015年度第10回、shinchaya的ふりかえり。

2015/11/21
Women’s Future Center(ウィメンズフューチャーセンター)
10:00~11:55
参加者 12名

10月は和同弁知を開催できなかった。
その理由は、これまで月の第2週目の土曜開催の固定化ですすめてきたのだけれど、登壇を依頼するうえで、その方のやはり最優先しないわけにはいかず、10月についてもそういう状況だった。
そこへきて10月というのは親でもある参加者のみなさん、会場管理者のかたにとってお子様の運動会やら発表会やらご家族にとって欠かせない行事が週末を埋めてしまって、日程と会場の確保が困難になってしまったからだ。
奈良の参加者の傾向上、ここは避けて通れない。
ある意味この業界を牽引している層が、若い世代だった印象が、みんなそういう年齢に達していているということを現しているかもしれない。

と、いうことで準備に関しては10月の段階からすすめていて、お題は「みんなでプラグインをつくってみよう」というもので、普段仕事でクライアントサイトをつくるたびにfunctions.phpに決まって書いているコードをプラグインにしてしまおう、というハンズオン企画だった。

白羽の矢を立てさせていただいたのは、今夏のKansaiのCampで出会ったすぎやまさんで、彼はそれ以降公式にテーマやプラグインを申請、リリースしていて、WordPressのコミュニティの”次世代”を担いそうな雰囲気の真面目な方だったのでスピーカーと世話人を打診してみると、意欲的に挑戦したいと請け負ってくれた。
使用するスライドも早々に作ってくれて、それについてあまりに今回のお題に対して内容が高度すぎて泣く泣く作り直しをお願いしたくらいであった。ノウハウとしては優れたものをもってるひとには間違いなかった。

例によってハンズオンなので、予想外なことが起こりやすいもので、準備や心づもりができているようで毎度のことながらあとで反省することが多い。

予想外だったのは、奈良は参加エントリーが毎回ぎりぎりな方が多く、今回は午前開催になったせいもあるが、フタを開けてみるといわゆる常連の顔ぶれが少なく、ほぼ初参加でのかたで占めてしまい、しかもWordPress初心者のかたも混じっていた。
プラグインのハンズオンなのだから、ある程度自分が自由にできるWordPressの環境は用意されているものというのも通じない状況で、ここは案内の文面で大きくヘタを打ってしまった。
プラグイン化したいコードをもってこられているかたも無く、これについては僕のほうで数個用意していたのをほぼ全部出してしまうことになったが、準備しておいて救われた。

すぎやまさんに関しては登壇のご経験がないので、これからご経験を積まれてさらに進化していかれるだろうと思うし、こじんまりとみんなと小グループ感覚で向き合える奈良ではそんなに心配はないかと思ったが、今回に関してはこちらから質問形式で投げかけて、どうするのがよいのか、どういう意味なのかを回答していただくようにしてさし上げるのがよかったかもしれない。
本当はたくさん用意していただいたプラグイン素材もお話もあったのに機会を失わせてしまって大変申し訳なかった。

それと、まったくの初心者の方々に適切なものも用意できなかったのはもちろんよろしくない。

反省とは尽きぬものである。

「和同弁知」2015年度第9回、shinchaya的ふりかえり。

2015/ 9/26
Women’s Future Center(ウィメンズフューチャーセンター)
13:30~16:00
参加者 9名

@kwaka1208さんのお申し出で、奈良のモデレータを退かれて以来、久しぶりにお越しになられて、vccwの環境構築のハンズオンをしていただいた。

退かれた当時とは参加される方の顔ぶれもさほど変わっていないので、馴染みがあるのと、いつものわかりやすい語り口で和やかに進行した。

和同弁知に参加されるみなさんは、Webデザイナーやブロガーなどノンプログラマの方がほぼ全員に近いけれど、自分の経験から、ウェブは曲がりなりにも先端技術だから、プログラムなどのわからない話でも積極的に聞くだけでも聞いておくことがあとあとになって知識やアイデアの引き出しのラベルくらいになるからと、都度都度お話させてもらってきたことが効果があるのかわからないけれど、内容を問わず参加してくださる方も定着してきた感がある。
単純に、自分で組み上げたプログラムが動くと、デザイナーであれ嬉しくて楽しいものだ。

内容に関しては時間内に行き詰ったところに関してはFacebookグループでフォローしていただけることになり、参加された方々の満足度も高い感じで会は終了したが、とくに僕を含めてWindowsユーザーはMacとの違いから、vccw起動の手前で頓挫して聞くだけになってしまった。

このあたりについては、僕がWindowsユーザーでもあるし、当日までにプロセスを実施して、起動を確認しておけばよかったとモデレーターの立場としても反省する。
とくに今回は奈良の雰囲気を承知されている@kwaka1208さんゆえに、よどみなく会が進行した部分もあって、違う方をお招きしていると、そうはいかなかったかもしれないので、常識的な見通しはもっておくことが必要だ。

「和同弁知」2015年度第8回 &第7回 concrete5奈良オフ会、shinchaya的ふりかえり。

2015/ 8/29
Women’s Future Center(ウィメンズフューチャーセンター)
13:30~16:00
参加者 9名(欠席1名)

正午前に近鉄奈良線が事故で遅延になっていた。
少し早いかなと思いつつ、自宅を出て正解だった。
鶴橋駅で次の電車がいつくるのか行き先表示も無茶苦茶になっていたので、改札で振替票をもらってJRで向かうことにしたが、乗り慣れていなくて、いったん王寺で降ろされたりと、なんだかんだで奈良駅についたらどうにか昼食をする時間くらい残っている感じだった。

concrete5奈良オフ会との共同開催であった。
数日前まで最低催行人数を割りこんでいて、会計はWordBenchサイドに委ねられていたので、concrete5のほうは通常人数アタマ割りを常としておられるので、当方としては会場費に赤字ならプール金を補填する覚悟だったけれど、当日には10人エントリー(実際の参加は9人)でその心配はなくなった。

どちらのコミュニティにもはじめての顔が多く、しかもconcrete5の知識を求めて来られた方が多くて、WordPress(WordBench)が人集めに一役買わせていただいた感もないではなかったかな。

WordCamp Kansai 2015直後でもあり、当方はWordPressが4.3になって仕様がグレードアップした「テーマカスタマイザー」をとりあげるなど、双方、初心者用にお題を用意したが、前回の和同弁知の閉会前に告知をして、関心の声もあったようだが、結局、初級者向けのお題は、少なくともこの会場に来られる人たちにとっては、もうあんまり求めてられなかったような感じをうけた。
それはつまり奈良の和同弁知に通ってくださるみなさんのWordPressに対するリテラシーや知識が総体的にアップして次の段階にあるということで、喜ばしいことなのである。

「和同弁知」2015年度第7回、shinchaya的ふりかえり。

2015/ 7/18
Women’s Future Center(ウィメンズフューチャーセンター)
13:30~16:00
参加者 12名

朝、明石からお話に来てくださる田中さんから、明石から神戸方面のJRローカル線が運休しているとの連絡があり、昨日の台風の影響がまだ今日に引きずって、あちこち電車が動いてないことがわかった。

田中さんに了承を得て、とりあえず開催方向だけれど、開始時間をずれるかもとの、参加エントリー済の方への一斉メールを発信したら、立て続けにドタキャンされた。
その多くはJR奈良線に運休区間ができていたからだった。

交通の復旧には時間を要していたが、天候自体は快方に向かい、奈良に入って、三条通を歩いているときは曇天ではあったが、雨はもう降りそうもない感じだった。
朝以降のキャンセルも無いようで、参加費の余剰で飲み物やお菓子も用意できる。

「なら茶フェ」のお店を改装することもなく、営業していた飲食店がまたcloseしていた。
先月の帰り途に、食事をしていきませんかとお店のスタッフからビラをもらったところだ。

入口のドアのところに、祇園町でもないのに赤い団子ちょうちんが下がっているのが、個人的に許せなくて、こともあろうに国際観光都市を標榜している奈良にあって、外国人が誤解しそうなものはかんべんしてほしいと思っていたところだったが、文句を言いに行くまでに閉店してしまった。

ビルをながめてみると東京から出店してきていたカレーのチェーン店も退店している。
結局僕らが、中のオフィススペースを貸してもらって和同弁知を開催していた、もぬけの殻の雑居ビルともただ綺麗にされただけで大してかわらない状況になってしまった。

三条通の、結構よい場所に立っているはずのこのビルの様子を見るにつけ、奈良というところは新しいことを始めることが本当に難しい土地なのだとつくづく思い知らされるようでなかなか辛い。

ともあれ、器はダメになっても和同弁知はつづいている。そんな奈良を変えていかねばならない。

田中さんは開始時間に数分から10分ほど遅れるだけで、お越しになられた。
なんと、明石から神戸まで新幹線こだまに自腹で乗って来てくださったようで、その友情に感激して涙が出そうだった。

WordPressのオフィシャルECプラグインの最有力なWoocommerceについて、実際にPCで触って学ぶ機会であったが、日本では正直に田中さんだけが日本向けの開発に努力をされている状況で、オープンソースだからこそ、きょう集ったみんなもWoocommerceに触れて、いっしょによくしていこう、情報交換していこう、という確認もしあった。

そういう話が異論なくみんなに受け入れられる感覚があるのは、「勉強会は学びたいと思う、対等な人の集まり」という意識がちゃんとここ奈良でも根付いているということなのだろう。