ウチの家業はお茶屋(茶葉売るほうの)です

宇治茶が純粋に”京都産茶葉”製になったのはここ10年くらいの話である。
原因は国内最大産地で茶業界人口が多い静岡が”静岡茶”を純粋県内産のブランドにしたいがゆえ、数で業界のルールを押し切って作ったからだ。

これに京都宇治の茶業者は最後まで抵抗していた。
というのは、今でこそ流通している日本茶は、ほぼすべて”やぶきた”という品種で、正直どこの産地のお茶も飲んで差がはっきりわかるようなものではなくなっているのだが、そもそもお茶は合組(ごうぐみ=ブレンド)が当たり前で、とくに宇治のお茶屋さんはさまざまな産地の茶葉を合組し、それによって独自の味わいを目指していたし、また産地域に関しても、宇治茶の茶畑は奈良の”大和茶”とおなじ山の南北ウラオモテで、ぶっちゃけおんなじだった。

奈良の”月ヶ瀬”という地名は宇治茶を指す異名で、現にそういう名前の甘味処が京都にもある。

前置きが長くなったが、僕は親父の代まで茶葉を扱うお茶屋さんで、先祖は月ヶ瀬あたりの畑で摘んだ葉を奈良まで大八車で運んできて製茶して商いをしていた。

そしてその製茶の多くを宇治方面におさめていたのである。
それがあるとき、宇治のお茶屋に品質が悪いなどと言いがかりされて、法外に安値で買い叩かれ、うちの家業は大きく傾いて、小さな商いしかできなくなったと、こどもの頃、高齢な親戚から聞かされた。
なんか、よく耳にする宇治茶の有名店のような名前だったような気がするがはっきり憶えていない。

なんにせよ、うちがおさめたお茶の品質がホントのところどうだったかわからないし、その頃の先祖の店主が元林院やら祇園町で芸妓と遊び呆けていたみたいな、なんか子孫の誰かに似てるような感じだったので、まあ、その名前もよく憶えていないどこかのお店を恨むとかはまったくないのだけれど…