母が遺した黒留袖についている紋が我が家のいわゆる「家紋」と違うもので、母の実家の「家紋」とも違うことには母の生前からちょっと気にはなっていたが、長くその理由は考えたことがなかった。
これを「女紋(おんなもん)」という。
とくに関西から西日本の風習として残る、母から娘へ、婚家へ婚家へと斜めにまたいで受け継がれていく家紋である。
(引用 府中家具センター)
ところで、京都の祇園町などの舞妓が締めている帯「だらりの帯」の裾には家紋が織られており、これは舞妓が所属する置屋(おきや)さんの紋で、昔は年端のいかぬ女児から舞妓になったため、迷子になっても置屋さんに連れて帰っともらえるように帯に紋を入れたなどの由来が語られるが、いくつかの置屋さんが同じ紋を使っている。
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それはなぜかというと、まず置屋さんについての説明から。
置屋はいまは花街ではすべて”屋形”と呼ばれているのではないかと思うが、じつは”置屋”と”屋形”は少し異なる形態なのである。
”屋形”はそもそも”自前(じまえ=独立した)芸妓の家”という意味で、”屋形”の女将は現役または元芸妓ということになる。“置屋”の女将には妓歴がない。
それゆえに“置屋”の女将は所属の芸舞妓に”おかあさん”と呼ばれるが、“屋形”の女将は芸舞妓と”姉妹”になるので”おねえさん”と呼ばれるのが普通。(”おかあさん”と呼ばせているところもあるが)
“屋形”には母屋、分家の親戚関係のところがあり、お見世出し(おみせだし=舞妓としてデビューすること)した屋形から、自前芸妓になったのちに、自ら新しい屋形を興したときには、育った屋形の紋を引き継ぐ習わしになっている。
つまり、屋形の紋もまた女系で引き継がれていく「女紋」なのである。
屋形にはお茶屋さんを兼業でされているところもあり、そのお茶屋さんは男紋を使っている。
男紋は同じ家の中で、家長の男子が受け継いでいく。
暖簾分けして、同じ名前で支店を出す流れは、まさにこれにあたる。
ここまででお気づきかと思うが”置屋”の舞妓のだらりの帯には男紋が入っている。
祇園町の秋の行事である「かにかくに祭」は毎年同じ紋の帯をした芸舞妓が参加しているのは、おそらくはその紋をかかげる屋形の母屋になるところがずっと大事にしてきた行事なのではないかと思っているが、詳しいことをご存知のかたがおられたらおしえていただきたい。
奈良の置屋さんは常置の仕事の場として、支援も受けてこられた菊水楼さんの紋を帯に入れているが、兼業のお茶屋さんには別の家紋があり、これもいわれこそ違えど、女紋ということになるだろう。
僕には姉妹がいない。
母がこの家に持ってきた女紋は、もう誰にも引き継がれないままここで終わる。
なんとなく寂しいものだ。
以下の動画では、祇園町の置屋のおかあさんが舞妓の帯の紋を「女紋」と紹介されている。
京都祇園 舞妓さんの衣装拝見 ~解説:お茶屋さんのお母さん~ (TV 京都きもの市場)
※ 2024年2月に改訂。