公募展「かきぞめ企画」出展をふりかえって

昨年12月。仕事関係の勉強会で親しくなったお友だちが作品を神戸元町のギャラリーVieさんに出品されたと聞き、当日ご本人には会えなかったが、集っておられた出展者の方々に本来の目的を晒してしまう。

するとその方々とギャラリーから年始の公募展「かきぞめ企画」に出展を打診され、拙作の”お見世出し”は思いがけず急展開で半年早い新年に神戸になった。

学生時代を過ごしたりかつての仕事関係で公私に縁のあった神戸も悪くないと思った。
親戚も知人も阪神沿線には少なくなかったし。ひょっとしたら見に来てくれるかなと期待もした。

開催まで時間がなかったので描きためた絵から選んで出展することになった。ギャラリーのサイドからは僕の芸妓舞妓の絵がお正月にふさわしいと期待されているようだった。

この時点で6月中崎町の公募展に出す予定の大阪・南地の芸妓姉妹の絵の3枚中2枚が仕上がっていた。退いてはいたが奈良の芸妓舞妓の絵も本人から承諾はとれなくもなさそうだった。しかし神戸で、一般のかたに芸妓舞妓が京都以外にもいることの説明が要る絵より、京都の舞妓のイメージのほうが受け入れられやすいだろうと判断して、それらを候補から外す。

選んだのは2枚。

梅の枝のメジロを見つけた舞妓の絵と、舞妓のお見世出し(デビュー)の絵。

舞妓はひとりの芸妓と姉妹の契りを交わしてお見世出しになるが、その芸妓自身も襟替え(デビュー)した10年前のエピソードをモチーフにしている。おめでたい絵だし、このくらいのウンチクを興味をもってくださったかたに語れればいいなと思っていた。

2枚の絵は過去にインスタグラムに上げていて、後者はイイねも多く、好意的なコメントが多かった。梅とメジロのほうは、単純に僕が好きなものとして選んだ。

実物をギャラリーで、とくに芸妓舞妓に関心がある人ではない方々の反応も見てみたかった。

ギャラリーに絵を飾るには額装が要ることは常識的に理解はしていたが、まさか描きためてきた絵の紙のサイズに最適な額が既製品には無いなどとは思ってもみなかった。

絵の部分を窓にしてくりぬいたもので額のサイズに合わせている物体がマットと呼ばれていることも初めて知った。

既製品はガラスの窓板で展示にはアクリルに替えるのが普通だという画材屋の説明に、それならはじめから何故アクリルで売っていないのかとても理不尽な気がした。

2枚の出品でエントリーしていたので、まあまあそれなりの額装費用になった。

公募展の出品はたいていのかたが1枚だったのを知ったのは開催後だった。

作品に命名もしないといけなかった。それなりにセンスも要る。発泡スチロールの薄板をカットしてそれらをネーム板にしたり、自己紹介のキャプションも作ることを学んだ。

ひととおりの準備をして、宅急便などは使わず設営日に現物をギャラリーに持ち込んだ。

設営はギャラリーにおまかせだった。

いよいよ始まった「かきぞめ企画」。

期間中の土日は必ずギャラリーに赴いたが、そんなに多くの人が見に来るわけではなさそうという予想はしていたけれど、(親戚も知人も来なかったけれど) 見に来られたひとの目線が僕の2枚にとまっているようには僕が居る時間内では、まったく感じなかった。

いろいろ学んだデビュー戦だった。

はじめてギャラリーにうかがったときから感じていたが、こちらでは絵本に描かれるようなファンタジーであったりかわいい絵を学べる教室があるのがウリで、その卒業生の方たちの発表の場であることで、雰囲気はとても良いのだが、僕の絵は線描きの色鉛筆画であることも、その題材にしてもかなり異端であることは否めなかった。

お正月なので、干支や和テイストな作品もあるにはあったが、僕の絵とは親和性があるものではなかった。

見てもらえたという実感がほとんどないのでインスタでどう見られているとかは何の参考にもならない次元であった。

インスタの投稿にイイねをしてくださっているのは国外の人も少なくないし、イイねの数を気にしているのなら、発表の場をアナログなギャラリー展示に求める必要すらあるのかとさえ思った。

神戸という場所もあるかもしれない。芸妓舞妓の絵ならば京都ならどうだったろうか。

いずれにしても、僕の絵に関心すらもたれていなかったのだから自問自答することすら意味がないかもしれない。

べつに悔しくはない。なんでもやってみてわかるものだ。

観覧のお客様には不評でも、はじめてかもしれないが、絵を描く側のひとたちとのつながりができたことはとてもうれしいことだった。

Gallery Vie かきぞめ企画「良い年になりますように」
2023年1月23日(月)~2月5日(日)