悲願のTHE GREAT KANSAI DERBY (関西対決 – 阪神vsオリックス)

阪神タイガースとオリックス・バファローズの関西のチームどうしの日本シリーズが実現した。
前回が1964年の阪神×南海で59年ぶりになる。

「関西シリーズ」とか「関西ダービー」とか「阪神なんば線シリーズ」とかいろんな名称で呼ばれる2023年の日本シリーズ。

阪神とオリックスでは「THE GREAT KANSAI DERBY」とすることに決めたようだ。

大阪環状線の、京セラドームの真反対になる界隈で過ごした子どもの頃は、パ・リーグに”在阪3球団”の南海ホークス、阪急ブレーブス、近鉄バファローズがあって、家から日生球場も大阪球場も近かったから、僕ら男児みんなの頭には阪神を含めたいずれかのチームの帽子があった。

前期後期にわけたリーグ戦でそれぞれ優勝を重ねていて、そのたびに系列の百貨店がセールをするので定例の祭のようになっていた。

セ・リーグとパ・リーグの垣根を越えて開催される春のオープン戦は僕らには公式戦より楽しかったかも知れない。
阪神ファンの僕には甲子園球場の公式戦では見ることのできないビジターユニフォームや三塁側での応援が楽しかった。

そして僕らの夢は阪神と在阪3球団それぞれとの日本シリーズ対決だった。

南海がパ・リーグで優勝を重ねていた頃は、讀賣巨人がV9時代で阪神はセ・リーグを勝ち抜けなかった。
阪急、近鉄の黄金時代は、セ・リーグは赤ヘルカープの黄金時代でまた阪神は勝ち抜けなかった。
阪神が1985年に優勝したときはパ・リーグは西武の黄金時代で、2003年と2014年はもう関西のチームではないホークスだった。

「在阪3球団」。

阪神ファンが道頓堀や大阪で騒ぐのを見て、兵庫県の球団なのにおかしいと憤慨される最近の若い世代の方々には理解し難いかもしれないが、本拠地球場は兵庫県にあっても、かつては阪神も阪急も球団本社が親会社の膝もとの大阪市内にあったので、「在阪」、本拠地は大阪と見なされるのが普通だった。
球場は大阪に本社のある鉄道会社の「沿線施設」で、みんなホームが大阪か兵庫かなどと考えることすらなかった。
「営業圏」という感覚が正しかったかもしれない。
だから個人的には「関西」と括るのも大きすぎる感じがしてちょっと違和感もある。

それは関西に限ったことではなく、球団が集中した首都圏でも同様で、本拠地を都道府県で強く意識するようになったのは、1994年に「ホーム」を強く意識した運営をするJリーグがスタートしてからである。

大阪市の東寄りに住む僕らは町工場か魚屋、八百屋、果物屋、菓子屋の子どもで、町工場といっても自宅の1階が仕事場で2階で生活していて、店をする家庭もそうだった。

バブル景気を迎えた頃には大手メーカーは下請け工場を海外に求め、町には大型のスーパーが出店が相次ぎ、僕らの家の商いは危うくなっていて、僕らは親から将来は家業は継がずに会社勤めするように口酸っぱく言われて育つ。

家業を継がないのなら実家にいる必要はないから就職し家庭をもつ頃にはみんなこの街からいなくなった。
工場だった家はなくなってマンションや住宅に変わり、商店街はシャッター通りになった。
奇しくも同じ頃、1988年に南海ホークスは買収され福岡に移転し、阪急ブレーブスはオリックスに買収され、その後神戸でオリックス・ブルーウェーブ になり、2004年に大阪近鉄バファローズを吸収合併、東北楽天ゴールデンイーグルスと分裂して、いまのオリックスバファローズになる。

もう会うこともない、街から出ていった”在阪3球団”のファンだった友だちはみんなそれぞれ、互いに夢見ていた”関西対決”の今年の日本シリーズをいったいいま何処でどんな思いで見ているだろう。

50年待った、とうとうかなった、本当に嬉しい。
阪神ファンなので、タイガースに是が非でも勝ってほしいけれど、いま格別に愉しい時間である。

できることなら、あの頃の小中の同級生たちと語り合って、それぞれを応援したいのだけれど。


追記。
記念乗車券買ってきた。
世が世なら阪神と阪急と近鉄3社がいっしょの記念乗車券。
なんかちょっとおもしろい。

(2023.11.01 改訂)