先頃、といっても昨年だが、”西郷どん”の放送も終わったところであるが、
ちょっと調べたところ、じつはなんと江戸時代に”藩”という名称はなかったのだそうだ。
明治新政府が版籍奉還で各地の大名の所領に新たにこれを治める”知藩事”を立てたのが、行政の歴史上はじめて使われたということで2年後の廃藩置県で短い役目を終える。
では、何て言ってたかというと、長州藩は”長州”とか”長門国”とか”毛利家”または”毛利”、薩摩藩も同様に、薩摩国やら、島津やらと呼ばれていたらしい。
それぞれを国にしてしまうと日本国の立ち位置がややこしいので、中国で王の所領、つまり天皇の所領を表す”藩”という単位を使うことにしたそうだ。
じつは”幕府”という名称も江戸時代にはなく、つまり室町時代にも鎌倉時代にも使われていなくて、これも明治になって、征夷大将軍による政権を”幕府”としたのだそうだ。
幕府や幕政は”ご公儀”と言っていたようで、藩や藩政も”ご公儀”と言ってたりして、その場合、江戸のほうは”大(おお)公儀”みたいに区別して言ってたみたい。
だから、倒幕も佐幕も、藩政改革も、脱藩も幕末の偉人たちは言ってないし、幕末という言葉すら無いのであって、
“土佐脱藩、坂本龍馬じゃき”
も、そうは言ってなくて、
”土佐の国抜け 坂本龍馬じゃき”
みたいな、なんかだいぶフヌケな感じで言ってたみたい。
戦国時代と双璧で幕末の物語が男性ウケするのは、バクマツ、とか、ダッパン、とか、やたら濁音破裂音の用語が飛び交うさまが、ゴジラとかキングギドラの語感とおんなじで、何せ男子は濁音破裂音大好きなのもひとつの理由ではないかと思うので、それが史実どおりの表現だったらこれほど人気していただろうか。