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デザイナーがゆえに気になる、わぷーのGPL。 #wpacja2013

2月21日、WordPress Advent Calendar 2013の21日目の記事を担当させていただきます。

日本のWordPressコミュニティにおいて、名だたるお歴々が代わるがわるテクニカルなお話を綴ってきておられますが、そういう意味では、タメにもならない、ちょっと気が抜けたような話になりましたら、申し訳ありません。(笑)

WordCampやWordBenchなどのWordPressの勉強会コミュニティは、そのソフトの性格上、IT・Web系のそれらにはない、プログラマとデザイナーが呉越同舟する、類まれな部類のコミュニティです。

仕事でディレクターが間に入らないとマッチングされないようなお互いが、WordPressへの名のもとに集い、
WordPressのことはもちろんのこと、デザイナーはプログラマの、プログラマはデザイナーのお互いの扱うものや当人たちのアタマの中を覗く、
とても刺激的な場所になっていて、それが縁でさらにお互いに他の得意分野を教えあうような機会が枝葉的に生まれたりしています。
僕にとっても、いまやこのつながりが仕事には欠かせない武器であり、財産になっています。

僕が奈良にコミュニティを仲間とともに立ち上げるに至ったのも、その価値を強く感じるからです。

そんなわけで、デザイナーにはデザイナーの目線のWordPressの楽しみ方や関心があり、
WordPress日本公式キャラクター「わぷー」もまた、デザイナーとってWordPress関連の気になる存在です。

僭越ながら、愚作でございますが、WordPress日本公式キャラクター「わぷー」をカスタマイズして、
昨年のちょうど今頃に、鹿せんべいを抱えた「奈良のわぷー」を、
今年の夏にはコミュニティの企画に参加して舞妓ちゃんの傘にすがりつく「京都・舞妓ちゃん&わぷー」を描いて、公開させていただきました。

作ったからには、それぞれが奈良や京都のWordPress関連のイベントや活用シーンで、望まれて使ってもらいたい。
そのためには素性正しいものであってほしいと願うのは、作り手のこだわりというもの。

ちゃんと調べて、正しい手続きで配布しようと考えました。

ところが、このWordPressの公式キャラクターは、WordPressとおなじ、ソフトウエアのGPLライセンスで配布されているという、
世にも珍しいデザイン・アート、画像でありながらオープンソースとおなじライセンスなのです。


GPLとは?

GNU General Public License
GNU(グヌー)プロジェクト(フリーソフトウェア財団)が規定した、プログラマどうしでソースコードを自由に融通して利用しあうためのルール

GPLに規定されている内容

著作権者はそのソフトウェア利用者に対してのような許可(ライセンス)を与える

0: 実行
1: ソースを見て調べて改変
2: 複製して配布(販売を含む)
3: 改変して配布(販売を含む)

かつ、2と3を行うときには配布された人にも同じことを許可(ライセンス)を与えること。
またGPLのソフトウェアを改変して配布する場合は、配布した相手から求められればソースの公開が必須であり、それがオリジナル版から改変されたものであることを明示する必要がある。


この理屈に照らして、自分が作った「わぷー」たちをGPLライセンスで正しい手続きで配布するとなると、

何が悩ましいかといえば、ソースコードのGPLであるならば、どこからどこまでの記述が改変箇所だということが当然に明示できるけれども、画像となると、「客観的に」改変箇所を示すしか、しようがない。

SVG形式で画像をソースコードであらわすことはできるけれど、実際問題、じゃあオリジナルの「わぷー」の部分のソースがどこまでで、どこから「鹿せんべい」なのか、明示することは困難です。

というわけで、苦し紛れですが、「奈良のわぷー」と「京都・舞妓ちゃん&わぷー」について、配布元のページでは以下のように書かせてもらっています。
間違っていたり、もっと適正な説明の書き方があれば是非、おしえてください。
(英文のChange Logは、単に気どって英語で書いてみただけですw)

WS000002

 

WS000000

しかしながら、僕がこのように説明文を書いているのが、正しいご当地わぷーの配布で、
他のご当地わぷーの在りようが間違っているというわけでもなく、

たとえばGPLのソースコードを改変してネットで公開すると、公開されたコードは即GPL適用になってしまうのと同じ理屈で、
カスタマイズされた「わぷー」をネットに上げて公開すれば、それも即GPL適用になっているわけで、
それを見つけたユーザーがこれを拝借して使用したり、カスタマイズする自由を妨げるものはないのです。

WordPress同様に、WordPressの魅力のひとつとして、「わぷー」のカスタマイズもどんどん楽しみたいものです。
来年もWordPressイベントのたびに、あるいは各地で、新種のわぷーが生まれるんでしょうね。

「舞妓&わぷー」の後始末。

11月24日、WordBench京都の3セッション目に「WordPressとわぷーのGPLについて勉強してきました(京都編)」のお題で登壇させていただいた。

さかのぼること今年の夏、Facebookページではじまった「京都のご当地わぷーをつくろう」企画で「舞妓ちゃん&わぷー」で独り、エントリーした。
確か、本当の言い出しっぺは僕で、
当初はWordBench京都として何らかの用途があって「代表」を選ぼうという意図だったように思うが、結局その機会を逸して、使い道もないので、純然たる京都のご当地わぷーの1デザインになっている。

その企画でFacebookページを賑わせたメンバーどうしの自由なやりとりの中で、
わぷー自体のGPLはもちろん、わぷーと組み合わせる京都らしいモノたちの著作関連の権利について、僕を含めたWebのコンテンツ業界にいる人たちが意外とよくわかっていないような印象をうけて、言い出しっぺの責任で、これはどうにかしなきゃと思ったのと、
また「舞妓ちゃん&わぷー」を作るなら作るで、GPLを理解してルールにのっかったものにしたくて、この日の登壇に至ることになった次第。

 

心知れた奈良のメンバーの前でもまだ2回ほどしか登壇したこともないのに、はじめてのアウェイ登壇だったけれど、京都のWordBenchのみなさんは寛容で、気兼ねなく話せる環境でとてもありがたかった。
仲よくさせていただいている方の来場もあったのも大きな救いだった。

調べものをするにあたって、Facebookや出向いた会場で、失礼を顧みず愚問をいっぱいぶつけて、
それぞれ逐一ていねいに解説してくださった方、気にかけてわざわざ情報をくださった方、
本当にありがとうございました。
みなさんのWordPressの繋がりの中に居させていただいてることに本当に感謝いたします。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

WordBench京都向けの「わぷー」描きました。

WordBench京都の「ご当地わぷーをつくろう」の企画にのっかり、描いてみました。

メンバーに向けたアンケートで具体的なイメージで提案があった、「舞妓さんの傘につかまるわぷー」です。

コトチカのキャラクター風という意見はとても興味深く、
絵にしてみると思いがけず、京都らしい和の雰囲気になり、
これまでにない、わぷーにもなったかな。

洛内の社寺については、金閣寺や清水寺などもありますが、
それぞれ特徴的で「立ち過ぎ」てしまうので、
よくある感じですが、一番京都らしい、
東寺の向こうに大文字さんを背景にすることにしました。
五重塔は実際の東寺のシルエットを使っています。

舞妓さんのモデルはあくまで個人的な好みですが、
祇園甲部の舞妓、紗月(さつき)さん み・た・い・な、
イメージにしました。
ちなみに紗月(さつき)さんは、今年の都をどりのポスターのモデルをされています。

舞妓さんの髪は「おふく」より「割れしのぶ」のほうがいいかな?とか、
「だらりの帯」で帯の端には置屋さんの家紋が入ってるとか、
わかる範囲ですが、ちゃんと調べて絵にしました。

これで十分といえるかどうかわかりませんが、こだわった理由は、
「WordPress」で、「京都」となると、外国から来られた方にお土産にできるような、
いちおう「国際性」も意識しなくちゃいかないかな、
となると、京都の文化を曲げて伝えるようなことがあってはいけないんじゃないか、
と個人的に思ったからです。

ステッカーになるとキャラクターや装飾にあわせた形状になるのが常ですが、
ここは「花名刺(はなめいし)」のサイズ形状にしました。「花名刺」は舞妓さんの名刺です。

昔から、舞妓さんからもらった花名刺を財布に入れておくと、お金が舞い込む(舞妓む)と言われていて、とても縁起の良いものとして人気があります。

和風で、ノートパソコンに貼ると形状からも、
他のステッカーより目立つこと間違いないでしょう。運や仕事もマイコむかも。(自画自賛。)


真四角なものはSNS用につくりました。

独りよがりな駄作ですが、使っていただけたらとうれしいなあ・・・

というわけで、僕は奈良でBenchをしようと思った。

もうすぐ4まわり目の誕生日を迎える。

最初に就職した会社の同期たちは、その会社でもう立派な役職だったりする。

働きが悪くて、目をつけられて、体よくリストラされたような僕は、
その頃には同期たちに徐々に差をつけられてきていた感じだったから、
今頃、たぶん居たところで、大した役目もないままだろう。

この歳になってまだ自分の家族もない。
諦めたわけでもないが、そんなに多く期待もしていない。

Web屋稼業になったのもかなり遅い方だったけど、
なんだかんだで、途中何度か挫折を味わいながらも、
気がついたら10年もつづけてしまった。

もともと偏屈で頑固で難しいこの愚男をいまの会社が拾ってくださって
我慢して4年も放り出さずに抱えてくださて、感謝で頭も上がらない。

制作会社を転々として、いまもべつに役職もない身分だけれど、
4まわり目が迫る頃から、ずっと迷惑なくらい好き勝手させてもらってきたけれど、
そろそろ一介の大人として、いちおう社会人の先達として、
何か、あとからくる人たちに残さないといけない気がしてきた。

僕は現役のWeb屋として、まだまだ勉強して前に進む気持ちは萎えていない。
でも、夢を追いかけるにしても、
その夢をもっと若い人に受け継いでもらったほうが、
もっとすごいものになるんじゃないかという気がしている。かなり。

何かをおしえてもらったり、人のつながりができると、
昔はただ得しただけの気分だったけど、
いまは、その機会をつくってくれた人たちに、
できるかぎり同等のお返しをしないと割が合わないような気がするようになった。

僕には大した腕もないかわりに、
そういう導きをするとか、場を作るとか、そういうことはできるんじゃないか。
そういうことが使命な年齢になってるんだよ。間違いなく。
そうだよ、気付くのが遅いくらいだよ。まったく。

いっしょに働く職場の後輩だけじゃなく、
業界の年下の子たちのために、僕ができることでWeb屋の未来を少しでも明るくしなくちゃ。

昔の僕を知っているひとたちは笑うだろうね。
このつきあいの悪い、宴に招待されても行かない、わがままで孤高で来たバカタレが、
自ら、人を集めて何かしようというんだよ。

とはいえ、最近もつきあいよくないけど、いまはどっちかというとお金がないからで。

というわけで、僕は奈良でBenchをしようと思った。