毎年1月17日は懺悔している
たぶんいまの50代以上の大阪人は震災体験のある同世代に対して何かしらコンプレックスをもっている
あの日確かに普通でない揺れを感じて目を覚ましたが
隣県とは恐ろしく対称的に、交通が寸断されたくらいで大阪はまったくかわらない日常だった
自転車で神崎川の橋を渡ってきた芦屋に住む叔父が別世界に来たかのようでパチンコ屋から音楽が流れてくる街に呆れかえってしまったと言っていた
至近距離なので倒壊した建物もたくさん目にする機会もあったし、
被災した親類縁者にも「大変でしたね」と同情してみても、
地震の映像や普段の小さな揺れにトラウマをおぼえる人の気持ちは真にはわからないし
結局幸せな側にいるがゆえに言ってるほうもどこか他人事のようになっている気がして
話題にするのもわかったふりするのも、失礼な気がして
あえてこれまでも兵庫県の人がいるところでは震災の話はこちらからは持ちかけてこなかった
震災を実感したのは発生から数ヶ月か半年か経ったあと神戸に行って
お気に入りだった、旧居留地にあったラルフローレンの店が入っていた建物がいくら探しても見つからなかったことだった
結構ショックだったけれど、そんな気持ちも失礼な他人事のようで
趣味の合う人たちにも、ひょっとしたら今日まで話したことがなかったかもしれない
「シーズ・レイン」という映画には震災前のラルフローレンが映り込んでいる
いまや震災前の神戸を懐かしむ映画の位置づけになってしまっているが、
原作の小説から好きな者としてみれば、おかげでストーリーはまったく注目されなくなってやるせない
その気持ちすらも失礼なのかと思い悩む
今は体験を風化させない意味や南海トラフの危機が迫ると言われるなか、
TVなどが積極的に神戸の震災を取り上げ、
震災を知らない、あんまり憶えてない世代が積極的に語るようになったけれど
このコンプレックスは解消することはない
防災グッズや対策をして来るその日に備えよう、というよりは
ホンマにそんな日が来ない幸せがみんなに誰にもつづくことを祈りたい