WordCamp Kansai 2014の(実行委員としての)ふりかえり。

「来年(2014年)のWordCampは”関西”の名前で開催したい」という話し合いに「奈良」の代表として招かれたのは、まだ秋深まらぬ9月のことだった。
関西圏のWordBenchや類するWordPressのコミュニティには府県を横断して参加することが当然に行われていて、過去、神戸、大阪のWordCampのスタッフも多くが共通で広く関西にいるメンバーで、特定都市のコミュニティの功績や評価として、履歴を残すのは実態に必ずしも即していないという意見もあって、たまたま2013年のWordCamp Europeの先例のあるタイミングで、「関西」は妥当というか、しかるべきな冠だったと思う。
自惚れではあるが、奈良にWordBenchを立ち上げたことが、関西のみんなに「広がり」をもって、地域を意識させるきっかけにはなったのかもしれない。
今回のWordCampの準備中には和歌山も立ち上がった。

さて、こうして準備がはじまったWordCamp Kansai 2014だけれど、僕個人としては順風満帆でずっとやっていけたわけではなかった。それは多分に自分自身の問題だけれど。

将来的な地元コミュニティによる単独開催に経験が活かせるように京都と奈良にすすめられたコンテンツと企画から、僕は企画のリーダーを賜った。

しかしながら、最初は「企画」というネーミングのチームの立ち位置に悩み、参加者への「おもてなし」を意図したイベントやおみやげを考案具体化するとしても、予算ありきで、実質的な動きは参加エントリーとスポンサー契約がそこそこ進んでからだということに、今度は油断して、精度の低い準備に終始してしまった。
それがあとあと足をひっぱる。

年が明けて桜の花が咲く頃にWordCampの予算が見えて、さあ、がんばろうという時期に、会社勤めのメンバーがほとんどの僕のチームはそれぞれが「年度末」に拘束され、打ち合わせもままならず、 結局、開催までひと月というGW頃になってから、精度の低い準備を見直し、どの担当チームからも急かされる格好で、怒涛の追い込み作業になってしまう。
概念から扱うので、議論も二転三転して、オンラインミーティングは毎回深夜に及び、ときに夜が明けるまでの徹夜になった。
もともと普段から共同作業の機会が少なく、差配が得意でない僕は自分であれこれ抱え込んで、音を上げかける始末。

それでも、チームのみんなが手に余る案件をすすんで持っていってくれて、案件ごとに進捗をまとめて一覧にしてくださって、それぞれはやがてまもなく形になっていく。
そんな不行き届きな僕を、仲間として、信頼をももって、協力して動いてくださったみなさんに本当に感謝せずにはおれない。

普段の職場では個人で完結する作業がほとんどで、チームで仕事をする機会もなく、ましてや多くのチームをまたいで、長期にわたる活動など経験することはないので、難しさもあったけれど、貴重な経験をした。
どこかで、多くの人と関わらないほうが、余計な迷惑をかけることもないからと孤高であることをよしとしてきたフシが自分にはあったけれど、仲間と信頼しあってタスクをこなし、目標に向かう、その先の達成感を分ち合う心地良い喜びも知ることができた。

実行委員にWordBench奈良の仲間からは参加がなかったのは残念だったが、幸いにもKansaiの実行委員を縁に、奈良のほうに来ていただける仲間も得ることができた。
近年少しずつ高まりつつあるようであるが、いわゆる「コミュニティ」というものに関するリテラシーが行き届かない奈良にあって、「WordPressのコミュニティ」の魅力はすすんで深く関わる体験をもって以外になかなか伝承しにくい感を覚えているが、この新たな仲間の協力を得て、奈良は2年めに向けて新たな一歩を踏み出せそうに思う。

今回のKansaiのCampでは日本で初めて、2日開催でContributor dayを設けたことにも象徴されるように、これまでは国内で当然に行われていたWordPressの普及に対し、あまり充分でなかったWordPressの開発方面への還元を意識したものとなった結果、実行委員は「WordPressの”中の人”」で立ち居振る舞いすることになった。
これは本来WordCampのスタッフはそうあってしかるべきだったのであり、この体験はWordCampに対するイメージはもとより、WordPressに対する、ひいてはオープンソースそのものに対する考え方をずいぶん変えてくれた。
WordPressはGPLで、世界中の多くのひとの骨折りともなうcontributeによって、誰もが自由に使える条件が維持されていることを、とくにデザイナーの立場でなかなか知り得ないことだが、垣間見て知ることになった。

本番当日を含めての10ヶ月。学ぶことはあふれるほどあった。
仲間の絆を新たにし、ともに苦労して、「分かち合う喜び」も知った。
2日の全行程が終了して、片付けをするときのみんなが同じことに一緒に笑う光景は幸せなイメージで強く脳裏に残る。

やってよかった。